阪神大震災時の入居者訪問体験記

昨年は熊本地震があり、東日本大震災からもうすぐ6年、阪神大震災からもう22年たちます。
私が、ハウスメーカーに勤めていた頃のことです。

当時、被災地域の入居者から家の点検依頼が多数寄せられていました。
被災地域の入居者訪問をすることになりましたが、阪神地域の社員だけでは手が廻らず、滋賀、京都、奈良からも応援に行くことになりました。
西宮に対策本部が設けられ、そこから各方面に徒歩組、自転車組、バイク組に分かれて地域が割り振られました。
安易な考えでバイク組に廻れば、遠隔地を訪問する事になりました。(当然ですよね)
1人に5軒ほど割り当てられ、宝塚、三田、有馬方面を廻る事になりました。
土地勘が無いのでどちらを向いて走れば良いのか判らず、大渋滞の道路をとにかく道路標識を頼りに走りました。
今なら、ナビがあるから楽勝ですが・・・

私の住んでいる地域では、住居表示の表示板が設置されている所はほとんど見かけませんが、どの地域も電柱等に住居表示板が設置されていて、各住居にも番地を書いたプレートが貼られているので、入居者の家は非常に探しやすかったです。

住居表示

幸いに大きな被害にあわれた入居者は無く、廻り終える事ができました。
大きなマンションが45度位い傾いて、今にも倒れそうになっているのを目の当たりした時、自然の力の恐ろしさを実感しました。

地震

帰り道、暗くなった有馬の山中でガソリンスタンドに寄った時、三宮までの時間を聞きたかったのですが、店員さんに「神戸までどれくらいかかりますか」と聞いてしまい、「ここ神戸です」といわれてしまいました。

三宮まで出て、渋滞の国道2号線を走って信号待ちをしていると、交通整理をしている警察官がいたので「西宮までどれくらいかかりますか」と聞くと、大きな地図を広げて「今この辺ですが・・・・」と言われ、それ位わかっているわとい言いたいところでしたが、礼を言ってまた走り出しました。地元の警察官ではなく他県からの応援だったようで、聞く人を間違ったと思いました。

バイクで対策本部を朝9時過ぎに出て、帰ってきたのは夜8時を廻っていました。1日中走り廻り、100キロ以上走っていました。
2回目からは、少し要領を得て廻ることができました。

まだ東北地方の復興もままならない状態ですが、昨年は九州・熊本地方の方々は大変だったことと思います。
近年、ゲリラ豪雨や大型台風が増えたように思いますが、このような自然災害は二度とおきて欲しくないですね。

積算担当Nでした

2 thoughts on “阪神大震災時の入居者訪問体験記

  1. はじめましてっ

    記事の表題に誘われてお邪魔しました。

    22年も前のことかもしれませんが
    実際にそこを体験された方々はいつまで経っても
    きっと昨日のことのように感じていらっしゃるのですよねっ

    45°に傾いたマンションの写真に思わず身震いしてしまいます。

    そんな中を走り回った時の想いは
    きっとご本人にしか分からない気持ちですよね。

    こうしてブログに書いて頂けるので遠くの私たちにも
    いろんな想いを想像して共感します。

    ありがとうございました。

    1. ブログを見て下さり有難うございます。
      関西の方なら地名を聞けばわかると思いますが、遠くの方にはピンと来なかったかもしれませんね。
      遠くの方々も閲覧してくださっているのを意識せずに書いてしまいました。(反省)
      東北地方の方々も、6年前に少なからず同じ様な経験をされた事と思います。
      テレビで見ているのと現場で見るのでは全く違います。
      目の当たりで見ると恐怖感を覚えます。
      私が見たのは2週間位経ってからでしたが、地震直後でしたらもっと怖かった事と思います。
      犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。
      自然災害がおこらない事を祈るのみです。

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