旅の思い出 1996年12月 香港個人旅行

 またまた昔の旅行です。20年前、香港返還まえに行ってみたかったので娘に誘われて、(ねだられて)行ったのでした。

 ホームページをコピペしてみましたが、作り方が違っていたのか、今までとは異なった表示になりました。この違いを試してみるという意味もあり載せてみているのです。写真が小さいのは、無料で使用できるホームページの容量が小さかったのと、プリント写真をスキャンしているためということがあります。

 あと、今回はアイキャッチ画像なしで投稿してみます。

香港旅行’96聖誕祭前夜(長洲島3泊4日) 1996年12月
 聖誕祭前夜の香港に娘と行ってきました。
返還前のクリスマス前夜の香港を観ようと、娘(まだ学生)と二 人で行ってきました。締め切り間際にパッケージツアーを申し込ん だのですが、10日前になって、ホテルがとれないとの連絡が。な んとしても行きたかった娘はチョンキン・マンションでもいいよみ たいなことを言うので、とりあえず、航空券だけ買うことにして、 ホテルを電話で手配することにしました。ところが安いところも、 普通のホテルも、どこもクリスマス過ぎまで満室でした。
で、結局離島のリゾート・ホテルにしました。FAXで送れと言 われたので、「地球の歩き方マガジン」に出ていた様式をまねてフ ァックスモデムで送って、予約確認書は会社のFAXで受信するよ うにしました。(こんどFAX買わねば)

そういうわけで、香港へは3回目ですが、個人旅行は初めてなの でした。娘も、カナダに行ったことがあるだけで、海外旅行は2回 目。この旅行で、娘は父親に負けずにすっかり香港フリークになっ てしまいました。バイトして今度は友達と行くぞぅ!と張り切って います。

今回は、ニフティのオフへ割り込み参加したり、張國榮の演唱会 をちょっと楽しんだり、娘がインターネットで知り合った香港の学生と会って信和中心やジェイドマーケットを案内してもらったり、「恋する惑星」ロケ地ツアーをやったりと、中身の濃い旅行になりました。

12月21日(土)
 初めての夜間飛行で、香港の夜景を空から楽しんだ私たち親子は、 リコンファームのために出発ロビーへ向かった。カウンターでリコ ンファーム プリーズというと、ホテルの名前を聞かれたのでホテ ルの名前を言った。チェックインは9時からです、のようなことを言われて、それでリコンファームは無事終了した。
ATMでキャッシングしてエアポート・エキスプレスの乗り場へ 急いだ。チケット売り場でセントラルと言うと、A20と書いたパ ンフレットを渡されたので、1人19HKDでチケットを買い、バスに 乗り込んだ。エクスチェンジ・スクェアでおりて、長洲島行きフェ リー乗り場へ向かった。途中、セントラル付近のイルミネーション がきれいに見える場所があった。
 フェリー乗り場前に着くと、次のフェリーは21時だった。娘は 空腹を訴えた。フェリー乗り場前で食べ物を売っている小販があっ たので、そこで娘がスープを買った。英語でハウマッチといっても 通じない。手伝っていた女の子が広東語で言ったけれどわからなか ったので、娘がボールペンを出して手のひらに書いてもらった。 12HKD。持ってきたメモ用紙使えばいいのにと思ったのは、スープ をのみほしてからのことだった。
フェリーは1等に乗った。2等は椅子だけだが、運賃が約2倍の 1等にはテーブルがある。香港島と九龍半島の夜景を後にしてフェ リーはゆっくり進み、約60分で長洲島に着いた。
フェリー乗り場前には渡假屋(ペンションの斡旋カウンター)が たくさんあった。小さなスーツケースを持っていた私たちは一度だ け声をかけられた。どういう二人連れに見られたのだろうか?

ホテルはフェリー乗り場の反対側の海にあるので、狭い小路を適 当に歩いて行くと、それらしい建物が見えた。予約確認のFAXを 見せて、チェックインした後、散歩に出た。フェリー乗り場近くの 海辺の前に海鮮料理屋がいくつもあったが、もう閉めはじめている 店が多かった。
ホテルに帰り風呂にはいろうと思ったが、水しか出ないのであき らめて寝た。温水器のスイッチがオフになっていたからだというこ とに後で気が付いた。

12月22日(日)
夜中に外で騒音がした。すぐ近くのヘリポートへのヘリコプター の音だったということに、翌日気が付いた。
波の音が心地良いが、眼がさえて眠れなかった。6時起床。まだ 暗かった。オーシャンビューの部屋のベランダに出ると少し涼しか った。空に北斗七星が見えた。北極星が低いところに確認出来た。温 水器のスイッチをオンにしておいたので、シャワーのお湯が出た。 シャワーを浴びた。
昨夜、若者たちがたむろしていたすぐ近くの公園には爺婆たちが太極拳をするでもなく、数人集まっていた。
07:30発フェリーでセントラルへ向かった。1等船室は乗客 は少なかった。
エクスチェンジ・スクェアのエアポート・エキスプレスA20の 乗り場の位置を確認した後、CDでキャッシングしてから羅富記へ 行き、粥を食べた。店の入り口では店の人がテーブル2つを使って、 4~5人でギョウザのようなものの仕込みをしていた。

スターフェリーでチムサーチョイへ行き、公園を歩いた。香港島 を眺め、ペニンシュラホテルの前を通って、チョンキンマンションへ向かった。階段には公園の入り口にあるような自転車の乗り入れ 防止用の柵(?)みたいなものがあった。2Fの両替所が安いと聞 いていたので勇気を出して行ってみたが、まだ開いていなかった。

あとは娘に引き回されて、娘の行きたい店に行った。その後、九龍公園で一休みした。フィリピーナのいろいろなグル ープがダンスをしたり、手をつないで祈っていたりしている光景に でくわした。
まだ約束の時間には早かったが、ニフティのオフの場所である雪園飯店に向かった。ハンドルネーム堕落天使No.6さんをはじめとする香港電影迷姉妹とその友人と、香港在住のミッチさんなど総勢16名のオフだった。そこで、張國榮のコンサートに誘われて、関心がないわ けでなかったので、途中で退席することを条件に行ってみることに したのだった。
 信和中心では海賊版CD-ROMに驚き、女人街で 息子への土産の磁石付き腕時計を買い、靴屋が多い花園街を娘の靴探しに付き合い、その後MTRでチムサーチョイへ行った。

夕闇が迫ってきて、少し肌寒くなったので、ジョルダーノでカーディガンを買った。店員の教育が行き届いているのか、いつも、ど こも愛想がよく気持ちのよい応対だった。
 プロムナードを歩いて体育館へ向かった。ビルの壁面を使ったク リスマスのイルミネーション>がきれいだ。人出も多い。
体育館へは開場1時間前の19:15に到着した。オフ会でコンサ ートに誘ってくれたひろ美さんとの待ち合わせの時間まで、体育館の 敷地の花壇の縁に座って少し休憩した。睡眠不足と歩きすぎでかな り疲れていた。
 張國榮のコンサートには文字どおり老若男女が集まっていた。小学生低学年から爺ちゃん婆ちゃんまで。コンサートは唄のほかに半ケツのコスチュームを着たダンサーたちのダンスあり、クラシクバレーあり、可愛い男の子たちのアクロバットありで、本では読んでいたけれど、 本当にファンへのサービス精神旺盛という感じで、楽しめるものだ った。開演約1時間後、前列にファンが集まりはじめたのでどうし たのかと思っていたら、ファンへの握手タイムが始まった。帰りの 時間を気にしていた私たちは後ろ髪ひかれる思いで会場をあとにした。

 体育館前でタクシーを拾おうという考えが甘いことを思い知り、 ホテル前で拾うことに方針を変更して歩くことにした。結局チムサーチ ョイセンター付近のタクシー乗り場まで歩き、タクシーでスターフ ェリー・ピアへ。タクシーに乗っていて、赤信号が異常に長いこと にそのとき気が付いた。20HKDで「きーぷざちぇんじ」と言うつも りで準備していたけれど、きっかり20HKDになってしまった。20HKDを出して「OK?」 と聞いたら、許してくれた。あわててスターフェリーに乗り込む。 美しい夜景を見ながらも時計が気になった。
セントラルについた時間にはすでにフェリーの出航時刻を過ぎて いた。次の出航は1時間後なので、食事できる店を探しにうろうろ したが、結局、昨日の小販で、娘はスープ、僕は、魚のすり身のは いった辛いスープにした。帰りも1等で帰った。冷房がきいている のには、知らされてはいたけれど、寒くて参った。

ホテルに着くと、明日会う予定の娘のメル友エディから電話があったとのメ ッセージを渡された。夜遅いので、明日電話することにして、風呂 にはいって、爆睡した。

12月23日(月)
セットしておいた腕時計が7時55分に鳴るまでぐっすり眠って しまっていた。時間がないので慌てて洗顔し、髭を剃る。空から爆音が聞こえてきた。すぐ眼の前にヘリコプターが飛来し、すぐ近く のヘリポートに着陸した。香港警察のヘリのようだった。
今日会う予定の、香港の学生エディから電話が入った。彼とは娘 がインターネットで知り合ったのだ。夕方予定が入ったので、待ち 合わせの時刻と場所をかえるという電話だった。了解して、出かけ る用意をしているとまた電話がかかってきた。娘が日本語で話して いたので、不思議に思っていると、エディの母親だという。日本語 が上手だったと驚いていた。あとでエディに聞くと、日本語を6年間勉強したということだった。

小路を歩いてフェリー乗り場へ向かう途中、壁に浮世絵のかかれた日本料理店があった。私たちは最後まで開いているのは見なかっ たが、昨日のオフでの話によると、会議室でも話題になって、憶測 や情報が飛び交った挙げ句、日本人がやっているということに落ち 着いた(?)ということだった。
08:40発フェリーに乗る。2デラックスと言ったのに、売っても らえず、2等の券が渡された。月曜日で通勤などで1等に乗る人が 多いので、階段でチェックするのでなく、乗ってから差額を集金に くるのだった。フェリーで日本から持参した携帯食などで軽く朝食 をとった。
中環から歩いてヒルサイド・エスカレーターへ行く。今日は「恋 する惑星」ロケ地めぐりだ。10時過ぎに着いたがまだ下り方向が動 いていた。日本人観光客らしい女性4人のグループや、地元のおば さんたちが、切り替わるのを待っていた。金髪の美人バックパッカ ーが胸の前にも大きなリュックを下げて降りてきた。金髪のスチュワーデ スが降りてきた。
すこし待っていると、制服を着た小柄な男が手にプレートを持っ て降りてきて、エスカレーターを止め、そして上り方向の運転に切 り替えた。

いくつかの道路をよこぎり、緑色のモスクを左手に見ながらどん どん登っていった。登ったらあとは降りるだけ。道路を降りると迷 いそうなのでエスカレーターの脇の階段を降りた。途中からランカ イフォンへ行くべく、地図をみながら道を辿った。
ランカイフォンには清掃車が来ていたので、写真をとるため少し待った。日本人の女性2人連れが来てミッドナイト・エキスプレスの写真をとっていた。
早めに太湖海鮮城で昼食をとることにした。飲茶のリストは英語も書いてあったが、よく分からなかったので、一品料理をいくつか頼んだ。入ったときはすいていたが、出るときはガイドブックにあるとおり、客が並んで待っていた。
ペダービル付近で約30分娘と別行動にすることにした。上海灘で、かの有名な毛沢東時計を見た。みやげ用マッチがおいてあったが高いので買うのはやめた。その後英国系デパート、香港系デパートものぞいてみた。
その後MTRで旺角駅へ。通菜街の近くで、僕は亀ゼリーを娘は 豆腐花を食べた。
エディとはMTR駅の恒生銀行の前で会った。信和中心、廟街、 ジェイドマーケットへ案内してもらい、娘は信和中心で金城武のポ スターを買うのを手伝ってもらった。ぼくの仕事は何かと聞かれた ので英語で説明したが理解してもらえず、紙に漢字で書いたら納得 してもらえた。(そんなに発音悪いのかなぁとがっかり)
エディとはMTRの駅で別れ、MTRで中環へ行った。シャトル バスでピークトラム駅へ行くと、すごい行列で、30分待たされた。 山頂に登る頃には、すっかり暗くなった。夜景は何度見ても素晴ら しいものだった。風が少し強かった。去年来たときには工事中だっ た建物が完成していた。

また娘と別行動とし、歩き回ってみた。無料展望所からはアバディーンの海も見えた。建物の中にスーパーが あったので、そこでおみやげ用にマカダミアナッツチョコレート3 箱セットとプーアル茶のティーバッグ100包入り徳用箱を買った。
ピークトラムは下りもすごい行列だった。予定どおりミニバスで 降りることにして建物の地階の駐車場へ行った。前払いになってい るのは分かっていたが金額がわからなくて、6.5HKD払うのをもた もたしていて娘をやきもきさせてしまった。
 中環からフェリーでチムサーチョイへ。夜景を見てから、夜のチ ョンキンマンションへ行った。チープベッド、チープといってイン ド人が言い寄ってきた。ぼくがディパックを担いでいたからだった。 ノーサンキューと言って逃げた。昨日の朝の怪しい土産物屋は開い ていなかった。
21時頃、潮州料理の店にはいって食事をした。2人用のコース を頼んだ。えびのサラダ、ホタテとブロッコリ、鳥肉のスープが美 味しかったが雪魚(鱈なんでしょうね)の料理は辛くて甘くてくど かった。娘はそうでもないよと言っていたが。デザートはマンゴー プリンだった。
 店を出たのは昨夜タクシーの中で時計を気にしていた時刻と同じ だった。結局、昨日と同じ時間に中環に着いた。時間があったし、 気力も体力も少しあったので、ランカイフォンへ再び行ってみた。 日本のABCが取材に来ていた。現地の人をつかまえて、何か聞い てメリークリスマスと言わせていた~ような気がした。

街には白人が多い。 そういえば、NHK-BSの中継でトランペッターの日野さんがク ラブ1997の前でしゃべっていたことを思い出した。
ホテルへかえって、モーニングコールを頼み、セーフティー・ボ ックスの中のパスポートと航空券を受け取った。部屋で荷造りした 後、ベッドに入ったが、なかなか眠れなかった。

12月24日(火)
あまり眠れなかった。モーニングコールの5分前に目が覚めた。 外はまだ暗かった。チェックアウトを済ませて、ホテルのフロントで記念写真を撮らせてもらった。
島の朝は早い。小路の食堂では大きな中華鍋でビーフンを炒めていた。太った犬が道のまんなかに座っていた。島に着いた時に気 が付いたことだが、この島の犬は肥満気味の犬が多かった。
小さなスーツケースを転がしながら、フェリーに乗った。昨日よ り時間が早いからだろう、昨日より一等の乗客が多い。それぞれが 新聞を読んだり、朝食をとっている。テーブルにうつぶして、差額 料金をテーブルにおいて眠っている人もいた。
マカオからの水中翼船が追い越していった。貨物船が2隻香港仔 のほうからゆっくり入ってきた。

中環に着いた。通勤の人々の群れとともに歩き、エクスチェンジ・スクェアのA20エアポートバス乗り場へ向かった。バスはあったけれど乗客はいないし、運転手もいなかった。少し心配になったがすぐに運転手らしい人が来た。乗客は結局私たち2人だけだった。途中ホテルに何ケ所か寄ったが、そこからは一人も乗ってこなかった。地元の人が一人、途中で乗って途中でおりていった。

空港出発ロビーのチェックインカウンターへ急いだ。9:20頃だったが、誰も並んでいなかった。団体のチェックインは終わったようだった。ノースモーキングは隣どうしの席はないといわれた。となりどうしでなければあると言われたので、それでよいと言った。右側の前窓側の前後に分かれて席がとれた。くるときとほぼ同じ席だった。
セキュリティチェックでASA1600のフィルムと、カメラに入っていたASA800のフィルムをDON’T X-RAYという袋に入れて、X線を通さないように頼んだ。すると、体格のいい女性係官がカメラを持ってテイクなんとかといっていた。はじめ意味がわからなかったが、カメラであることを証明しろと言っていると理解し、先に通過して、心配して様子を見に戻った娘にカメラを向けてシャッターをきった。

売店ですこし買い物をしたあと、集合時間になったのでゲートに行き、バスで飛行機まで行った。空港に並んだ飛行機や背後の山を眺めながら、啓徳空港へはまたこれるのだろうかと一瞬思った。

離陸する途中、もやで香港島のビルがかすんでみえた。          (おわり)

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