おはようございます。
今日8月6日、広島は72年目の原爆の日を迎えます。
多くの命を奪った原爆。私の実家は廿日市市の山間部で岩国市に近いのですが、亡くなった祖母が原爆が投下された時、「ピカッと大きな光が市内のほうから走ったのを見た」と言っていました。
それだけの破壊力があったという事ですね。
なし崩しに始まった戦争の結果、終わりのようのなかった戦争の結果は何だったのでしょうか。ただ多くの命が失うことになっただけではないでしょうか。
歴史の針を戻す愚を犯してはならない。
そう思いながらも、今の総理大臣や政権与党は戦争に突き進みそうな気がします。
強引な憲法解釈や改正、強引に安全保障問題を進めることは、総理大臣や政権与党からの、国民に対する復讐にも見えます。
数年前、今の政権与党は過去の55年体制崩壊を経験した訳です。
それは自分たちが悪いのであったことではありますが、審判を下した国民が悪い。そう思っているように垣間見えます。
政権与党に返り咲いた今、震災の復興、被災者の生活支援よりオリンピックにお金を使うことも、増税に突き進むことも、強引な憲法解釈や改正、強引に安全保障問題を進める事も、全て国民への復讐、例え天が裁かなくても己の手で必ず裁きを下すと言う、天誅ならぬ“人誅”を国民へ与えようとしているように見えます。
国民を闇の奏でる伴奏で踊らせる。それが今日の政治だと思います。
闇を作り、生きがい・気力を奪い、新政府樹立などクーデターを起こさせない。政府、与党の存在意義を問わせない。そうやって闇を作り国民をコントロールしているようにも見えます。
悲惨な戦争が始まるまでに、別の選択肢、争いをしない選択肢はいくらでもあったと思います。
しかし、悪い選択肢をして多くの命を失ってしまう結果を招きました。
国家とは、国民と領土の統治機構であり、自国の安全保障を担うために存在しています。
そのために、軍事力の保持は絶対必要であり、また軍事力の強化も必要であります。
ただ、その力は、争いを起こすための力ではなく、守るための力であり、日本で言えば自衛隊の力は専守防衛の力であって、他国のために他国に行って戦うものでも、他国に送り込んで防衛をするためのものでもありません。
力の使い方を間違えれば、大きな過ちとなります。
どのような経緯で現在に立ったにせよ、過去の宿業を未来に持ち込むべきではありません。
我々は争いのない平和と大切さを学び知っています。
人が変わろうとすることで、争いをやめ、己の役割を果たして平和に生きる。
その精神が、人がさらに進化・成長して 歴史の針を戻す愚を犯すことのない世界と平和を築くのでしょう。
では、私にできることは?
今ある力で、自然の美と人が培った技術の美と守る姿を見せていくことでしょうか。
そして一人であっても自然や樹木の保全・保護を管轄とする機関を運営する事、また平和を備えた取り組みをする機関を育てていけたらと思います。
広島で命を失ったすべての方に追悼の意を捧げます。