あっという間に9月も半ばになりましたね!、、早~い!
先月28日に入院して、11日間の入院生活を終え
先週金曜日、無事生還して我が家に戻って来ました。
、、、、
。。。。
「お帰り~~」
「は~い、ありがとう~!」
今年もヤブランちゃんが
ちゃんと咲いてくれて良かったです。
反対から見ると→
、、、
、、、
先月入院前には、
皆様からたくさんの暖かい励ましのお言葉をいただきまして
どうもありがとうございました。
お陰様で無事手術も成功して
主治医のスケジュール通り進んで行くことができました。
今改めて、「あ~~本当に終わったんだ~!」
と、感慨に浸ってるところです。
えっ?今頃ノロいって?、
、エヘ 面目ない、、
、、、、
、、、
手術(子宮体癌・漿液性腺癌)の結果は、
「子宮外への進展はなさそうで、
卵巣、卵管、リンパ節、大網などに
肉眼でわかる明らかな転移病巣は認められない」そうです。
が、
病理検査結果を確認するまではわかりません。
(肉眼でわからない部分が、、気になります、、。)
不幸中の幸い?一先ず安心しました。
が、
再来週、外来で病理検査結果を聞くまでは、ドキドキです。
今後のこととか、何を言われるのかも、、
、、覚悟してるとは言っても、、怖いです。
開腹手術はやはり大変ですね。
あんなチューブだらけになったことは初めてだったし
入院前は元気度10だったのに、
今は元気度2~3くらいかも、、。
も~~どないしてくれるんじゃい~
、、、、、、
、、
今回,
無理矢理「病院食レポ」やってみます。
この度、「食欲=健康」というのが
痛いほどよ~~くわかりました。
入院中ずっと、食欲というものがなく、
ムカムカ気持ち悪い状態が多かったです。
食べることって、
すごくエネルギーを使うものだと思い知りました。
あんな少量の食事を食べるのが疲れる!
でも頑張って食べてました。
食べないから点滴しますなんてことになったら嫌ですからね。
そして、、「職業病?」「趣味病?」「単なるクセ?」
食事の度に携帯取り出して、
撮ってました。
*なんで撮るの?そこに料理があるから!
*いったい、こんな写真どうするの?
*、、クセだから、撮ってしまう。
*で、、どうするの、そんな面白くもない写真、。
*ん?そこです! この際撮った努力を無駄にしないために
、、、「病院食レポ」やってみよう!、
、、、、、そうしよう~!
という結果に基づき
やってみることにしました。
一つ、面白い話、、
病院の食事、
「どうやったらこんなに不味い料理を
作ることができるんだろう、、」
と、最初は食事の時間が恐怖でしたが、、
その内、、
「あれっ?今日の料理当番は違う人かな?、、」と思えたことが、
後で、、それって、料理の上手下手の問題じゃなくて
私の方の味覚、体調の問題だったと認識しました。、
シッケイシッケイ、、ゴメンネゴメンネ~、、
未だに元のようには食べれませんが
薄皮を剥がすように、、の言葉通り、、
超薄い薄皮を剥がすように、、
少しずつ元気を取り戻していってる気がします。
多分、マイ胃が、、
ある日突然、周りの様子が変わって、あれれ?
そばにいた仲間達が
メスで切られて出て行くのを見てアジャー
恐怖で弱ったのかも?
、、 私のこと傷つけないでよ~!
まだ時々お腹の痛みはあるのですが、
我慢したり、
痛み止めを飲んだりでごまかしながら過ごしています。
このブログ、後で書き足していくかも?しれません。
(私が手術ブログを見て参考になったように
参考になる人がいるかも、、?)
コメント欄は閉じておきます。
前置きが長~くなりましたが、、
とりあえず、
「病院食レポ」行ってみます。
28日(火) 入院 =>
、、、、
こんな食事してたら病気になっちゃうよ~~!
手術前最後の(食事とは呼べない)食事です。
29日(水) 水と点滴と下剤のみ!
点滴があるので
午前中にシャワー&シャンプーを済ませ、
、、ただ、暇・ひま・ヒマ~~
1日中食事無しなのに、
お腹すくどころか
何故かムカムカ気持ち悪く吐き気も、、。
夕方下剤一回
余談:
隣の患者に
「明日手術なの?
お腹切るともう一生具合悪くなるから。
今日が一番元気な日ってことよ。
今日は眠れないわよ、、
下剤でお尻痛くなるわよ、、、」
延々とネガティブなことを
言われ続けてました。
その後私は彼女を死神とあだ名つけて(笑)
極力避けていました。(汗;)
、、、、
30日(木) 浣腸、手術 点滴のみ、
朝8時過ぎに看護師と一緒に歩いて手術室へ、
手術室には既にたくさんのスタッフがいてビックリ!
手術台には自分で上がりました。
背中に硬膜外麻酔の処置を、、
(これもネットのブログで学習してましたが、、、)
ベテラン麻酔医師が後ろで
「そこは違う、やり直し、、」とか
「それ、もう使えない、新しいチューブ持って来て」
((もう~~ベテラン先生、代わってよ~))
(私が大人しい女性だから
実験台にされたんですね、、。
痛かったし、時間かかった、、、)
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麻酔医師軍団「はい、、じゃあ、いい夢見て来てくださいね~」
私 「本当に夢の中に行・・・・ 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
スタッフ「はい、終わりましたよ!」
私 「えっ?」
目の上に3~4人の顔が、、
しかし、、い、い、いきが、息ができない!
呼吸できてない!恐怖!パニック!
「い、き、が、で、き、な、い」とどうにか口を開けて訴える。
すると、みんなが
「大丈夫、ちゃんと上手に息できてますよ。、、、」
(プロが言うんだもの、大丈夫なんだ、、!)
口の中に人工呼吸器を入れられてたわけで、、
きっと、それを出す時?前?
一瞬呼吸できなくなってたのかも?
麻酔から覚めてあの世に行くなんて、メチャ残酷!
どうせなら麻酔中に行かせて欲しいと思ったけど
しっかりサバイバルしました。
集中治療室経由で病室へ戻ったのは3時頃でした。
手術時間は3時間半と報告書には書かれてましたが、
執刀医がメスで切ってから
切り口を閉じるまでの時間なんでしょうね。
痛みがあったら、自分で痛み止め点滴ボタンを押すと
背中に入れてるチューブへ
痛み止めが流れていく仕組みになってるため
お陰で壮絶な痛みというものを体験せずに済みました。
点滴ボタン、
強いのと弱いのと2種類(右手元と左手元)あったのに
弱い方を探せず強いのを押してました。
そのため何度も眠気や吐き気や、、。
(点滴の液はちゃんと制限されて身体に入る仕組みになって
安全とのことです。この硬膜外麻酔に救われたかも、、。)
安静、チューブだらけ+翌朝まで酸素マスク。
31日(金) 術後1日目
、、、
。。。
夕方、3日ぶりの食事!重湯です!
重湯って、、結構、ですね。
手術前の話、
隣のベッドで腸閉塞で入院してる女性が
回診に来た医師に
「重湯の中に五分がゆを半分入れて欲しい、、」
「それじゃ、意味がないでしょう、、。」の会話を聞いた時
『病気を治すためには我慢しなきゃダメだよ、』、
と思ってましたが、
彼女の気持ち、よくわかる気が、、、。(笑)
医師がOKと言うまで水が飲めません。
3時にやっと医師の回診があり、
水が飲めるようになりました。
(回診の医師が尿が少ない、、と、、
だって水飲んでないんだもの、、、。)
この日、ベッドから降りて歩くという課題。
(闘病ブログ等でも学習済みでしたが、)
これを、「私もできる!」と思ったのに
看護師と一緒に、点滴棒にしがみついて、、
少し歩いただけで、
汗びっしょり!気持ち悪くなって無理!
途中で断念!して残念!で、次の日に延期!
採血あり。
身体拭きのお手伝いをしてもらう。
肺血栓予防の痛い注射(朝・夜)始まる。
9月1日(土) 術後2日目
、、、
、、、
生の果物だけは美味しいと思いました。
今日こそ歩かなければ!、、
で、歩けました!
初めてちゃんと歩けて、、
偶然その頃、次男ファミリーが来たのですが、
歩けるようになった後で良かったです。
私が入院してたのは産婦人科病棟で
(途中で婦人科病棟に移動しましたが、、)
「新生児室」があるため、面会には大変厳しく
息子だけでも病室まで入って来れるかどうか??でした。
他の人は一切病室へは面会禁止です!
(談話室ならOK)
この談話室まで歩けたおかげで、
みんなに会えてよかったです。
1週間前我が家に来てみんなで出かけて
楽しく遊んだり食べたりしたばっかりなのに、
いきなり変身したバーバを見て、
二人共、一瞬ギョッと驚いてました。
孫のリアクションに
「えっ?そんな驚くほど私って変身してる?!」と
私の方が驚きました。(笑)
(背中、腕、お腹、尿、、
、、、と4カ所にチューブが、、
やはり異常ですね、、!)
術後かなり顔が浮腫んでました。
午前中、シャンプーしてもらう。
サッパリしました。
9月2日(日) 術後3日目
この日から真面目に歩行練習しました。
術後日数X10周(隣の病棟の回廊)が課題とか。
30周歩きました。(1周=80メートル)
この日、
(もう必要ないからと)
点滴が取れました。スッキリ~サッパリ~!
9月3日(月) 術後4日目
、、、
この日、やっと尿管を取ってくれました。
(ずっと取って欲しいと言ってたのですが、
「尿の量が、、、、」と、許可下りず、、
必死で水を飲んでました。笑 )
もう~~~サッパリしました~!ヤッタ~!
あれは絶対イヤですよね~~!
チューブはお腹に入れた
(リンパ液とかを外に出すための)チューブのみになりました。
(チューブの先には液を溜める袋がいつもお供してます。)
歩くのも、楽になりました。
採血あり。
尿の管が取れた後は
自分で尿を採尿紙コップに取って
量を確認して記入していくのが課題です。
水を飲むように言われていっぱい飲んでるので
合計量が
、、、、、、
9月4日(火) 術後5日目
縫ったところの抜鈎(ばっこう)。
(ホッチキスみたいなので止めてるので、抜糸じゃなくて抜鈎というそうです。)
私の場合切った部分が大きいのでこの日と翌日2日に分けて、
(この日は一つおきに)チョッキンしました。
自分でシャンプー(洗面台の前に座ったままかがんで)
やはり、、1人でやるのは疲れました。
でもサッパリしました。
自分でどうにかできるようになると
看護師さんに頼み辛いですね。
身体拭きは熱いお絞りタオルをたくさんもらって
自分で拭いてました。
これは自分一人でする方がずっといいですね。
、、、、
9月5日(水) 術後6日目
、、、、
お腹に入れてたリンパのチューブを抜いてくれました。
まだいっぱい液が出て来てたんですけどね、、。
いつまでも入れておくことも早く抜くことも
どっちも感染症?の危険性があるのだとか、、。
いつでもチューブの先の液体袋と一緒だったのが、
お別れできてサッパリしました。
しかし、、抜いた後の穴がなかなか塞がらず
液が少しずつ出てて、、、
退院しても、家でガーゼを交換しながら心配しましたが、
そのうちどうにか塞がってくれてホッとしました。
なんでも、一つずつクリアしていくしかないですね。
抜鈎(後半)終了。
24時間蓄尿検査
今まで採尿カップで量を確認した後、尿は捨ててたのですが
本日朝から24時間、それを捨てないで
丈夫な(笑)(私専用の)ビニール袋に溜めていく。
量や内容?等を検査するためだそうです。
まじめに溜めました。(笑)
水を一杯飲んでるので標準量の倍くらいの量が、、
私が溜められるものは、こんなものしかない、、。
なさけなかね~~オヨヨ
9月6日(木)術後7日目
,,,,,
スケジュールのプリントによると、もう次の日退院なのでは
スケジュールのプリントに
Xをしていくのが楽しみ&励みでした。(笑)
(この日で肺血栓予防の痛い注射(朝と夜)が終わるそうだし、、)
、、でも、、お声がかからない、、、
東京から主人の二人の姉がお見舞いに来てくれました。
歩行訓練やってるそばの談話室で、私の歩行を時々見ながら
主人と姉二人は話してて、私が後からお喋りに加わりました。
(この時間に主治医が病室に来てくれてたんです。)
義姉達と主人が帰ったあと主治医が改めて来てくれて
笑顔で、明日退院できると言われました。
ワーイ ヤッタ~
主治医に会ったのは手術後ほんの数秒間だけ。
目の前で(上で)
「手術無事終わりましたよ、ご主人に説明、、、、、」
その後一度も会ってないままでした。
術後初めて拝見した医師の顔、、
もう神様に見えました~。
”ありがとうございました”の気持ちでいっぱい!!!
この日は7X10=(合計)70周以上歩きました。
5600メートル!普段元気な時でも歩いてないです。(笑)
血流をよくする、腸閉塞予防、、に歩行が一番いいそうです。
(開腹手術後の癒着による腸閉塞を避けるための注意、
いっぱい怖がらされてるため、かなり神経質になっています。
便秘予防の漢方薬とマグミットを処方されて
退院後も飲み続けています。
何でも自然に逆らえば、
後遺症、副作用は付き物です、、、)
採血あり。
肺血栓予防注射終了。
、、、、
9月7日(金)術後8日目退院
最後の食事を終え、
会計スタート時間までベッドで暇つぶし。
無事病院を去りました。 =>
食レポだけのつもりが、
スケジュールプリント見ながら、
思い出したことや
感じたことを書き足してたら
長くなってしまいました。
まあ、いい記録日誌になりました。
もう2度とどんな手術もしたくないです、、。
いろんな入院患者さん達を見て
闘病ブログよりリアル!インパクトすごい!、
なんだか、怖くなったり気分が滅入ったり、
闘病のこと、生き方のこと、いろんなこと考えたり、、
暗くなるばかりでした。
入院生活って明るくないですね!
当たり前かっ!
この後、引き続いて、朝顔のブログも出します。
うちの朝顔達を見て「きれい!かわいい!」と思えたことは
元気になってる証拠かな、と思ってます。