白いデンファレの花びらがふんわりと広がって咲く様は、女性らしい優しさに満ちていました。
伯母が92才で永眠した。母の姉だけど、母の母が早世したため弟妹の母として生涯を全うした人でした。こんな風に書くと、よっぽど凜とした女性だったのでしょうと思うかもしれないけどそうでもない。いつも笑ってる、どんな時もニコニコ笑ってる。そんな人でしたから、晩年の老人ホーム人生でもヘルパーさん達に可愛がられたようです。
たまに逢いに行くと、ボケてしまっていて私のことなどすっかり忘れてしまっていたけれど、ニコニコと笑う姿はまるで童女のようで、私はその笑顔のあまりにも穢れのなさに驚愕を禁じ得なかった。
老人ホームって虐待のニュースも度々目にするし、また、うばすて山みたいな先入観もある寂しい場所ってイメージが拭いきれないけど、その中で本当に安らかな笑顔を絶やさないボケ老人が伯母でした。そのたたずまいは本当に神々しささえ感じさせるもので、もしボケるならこんな風になりたいと思ったものでした。
身の回りのお世話をしていたのは叔父で、喪主も叔父。本当は機転が利くんだけどそんな素振りは一切見せない奥ゆかしい人です。伯母の希望でお葬式は身内だけで行われました。集まったのは11人という小さな小さなお葬式でした。私は長男に嫁いだのでいろんなお葬式に参列してきたけれど、こんな小さなお葬式は見たことなくて、最初は「あまりにも寂しい」と感じました。
でもそうじゃなかった。
お坊さんがお経をあげていよいよ出棺。みんながそれぞれに花を持ち、棺の中にいれていく段になりました。叔父は母代わりだった伯母に静かに語りかけます。
「悪い息子だったな・・・」
思うように看病ができなかったという意味なのか、それとも、弟妹の経済を援助するために未婚のまま生涯を閉じた伯母への償いの言葉だったのか、私には計り知れませんが、叔父の気持ちが嗚咽と涙となってあふれ、崩れ落ちそうになる身体を必死で支える姿に私もこらえきれなくなりました。美しい想いだな。
献花に続く私の母も、慕っていた姉の棺にすがるように語りかけました。「姉ちゃんのように生きていくよ、生きていく!」。姉を悼む小さな妹(80才)の姿がありました。死んでなお生き様を示し妹を導く伯母の姿に、私は深く感銘を受けたのでした。
92才の老人がこんなに人に悼まれるのを私はみたことがない。愛されて生きることの難しさをしみじみと痛感する年齢になり、改めて伯母の存在の大きさに敬意を抱きます。伯母のように生きると宣言した母に続き、私もその末席に続かせてもらいたい、願わくば私のお別れもこうであったらいいなと願ったお別れの儀でした。合掌。