バルセロナとマドリッド8日間の旅 1997年5月
もう19年前のことになりますが、連休後半にしては安い(たぶん10万円くらいだったと思います)ツアーがあったので、それに飛びついてスペインに行ってみたのでした。
ホームページの記事をコピペして編集してみます。今回は大丈夫のようです。
5月3日(土)スペイン入国
イベリア航空6710便12:55成田発に搭乗、13:25離陸。アナウンスによると、モスクワまでの飛行時間9時間50分。モスクワで約1時間休憩。空港で$50のキャビアを買った。
モスクワからマドリッドまで4時間30分の飛行。マドリッドでバルセロナ行きに乗り換える。
バルセロナの空港で、最後の便だったのだろう、同じツアーの一人がイミグレに入る前に自動ドアーが開かなくなり、出られなくなってひと騒ぎ。その人は黒い服を着ていたので、乗客が全員イミグレに入ったと思われて閉められてしまったのだ。
ホテル着は01:10。日本との時差は7時間だから日本時間では朝の8時ということになる。眠れるわけがないけど、寝ることにした。時々目が覚めて外を見ると、土曜日のためか、けっこう遅くまで人が出ていた。
5月4日(日)バルセロナ市内観光
前夜出迎えの現地ガイドの案内で半日市内観光。サグラダファミリア教会は希望者多数のため、中に入って見学することになった。ジョージ・オーウェルは、「カタロニア讃歌」で、けなしていたけど、感激。尖塔から市街地や教会の他の尖塔などが見えた。尖塔にも華やかな装飾。
グエル公園も歩いて見学。ベンチなどにもきれいな装飾がほどこしてあった。カテドラルではちょうどお昼にあたり、サルダーナを見ることが出来た。太極拳をしている黒装束の不気味なグループもいた。ピカソ美術館に行きたいという人が約10名いて、彼らは昼食をキャンセルしてそこから別行動になった。
昼食後、解散して自由行動になったので、15時の閉館時間は迫っていたが、行ってみようと、タクシーでピカソ美術館に向かった。閉館40分前に着いた。入館料は不要とのことで、「えっ?いいの」と言いつつ、急ぎ足で見てまわった。日曜日は無料ということのようだった。
その後バスに乗ってモニュメンタル闘牛場へ。
開演1時間前だったけれど、チケットを買って中へ。青空がまぶしかった。同じツアーのグループが何組も来ていた。
闘牛士の5人目が終わって、一緒に行ったおばさんが、もう帰ろうと言い出し、帰ろうとすると、隣にいたスペイン人が、まだ終わっていない、これからが面白いんだと言ったようだったので、帰るのをやめて最後まで見ることにした。
6人目は一度は牛に倒されたが、立ち直り一撃でしとめ、観客が白いハンカチを振って、牛の耳が与えられた。客の入りは4分の1くらいだったけれど、雰囲気は十分楽しめた。
タクシーでホテルへ。ホテルの近くの、オヤジさんが一人でやっているバルでトルテーリヤ(スペイン風オムレツ)とセルベッサ(ビール)の食事をとった。
5月5日(月)モンセラット
同じツアーの2組みの母娘と一緒に6人で、モンセラットへ行くことにした。その前にサン・ジュセップ市場を見学、ランチ用のパン、ハム、などを買った。
カタルーニャ公営鉄道で AERI DE MONTSERRAT駅を目指した。直通は2時間に1本出ているが、乗ったのは途中乗り換えが必要な電車だった。
乗り換え駅近くになると、車掌や前に座っていた老夫婦が教えてくれた。
ロープウエイでモンセラット修道院へ。なんとなく行列に並び、45分後に有名な黒いマリア像を拝めた。タイミングよかったのでミサも見学。少年聖歌隊の歌も聞いた。満員の観光客が歌の途中で帰り始めるのには幻滅。最後まで聞いてほしかったのに。(説教から歌が終わるまで約30分)
フニクラでさらに高いところまで登り、持参のランチ。絶景。
バルセロナに戻りまだ18時前だったけれどホテル近くの昨日とは別のバルで食事。
妻が「るるぶ」を見せてシェリー酒入りのコーヒーを頼んだ。店の親父が「それは夜飲むものだよ」みたいな忠告してくれたが、もう眠るからいいのだというジェスチャーをして出してもらった。小さなカップだったけれどコーヒーと同量のシェリー酒に、酒に弱い妻は二~三口でギブアップ。結局僕が全部飲んだ。
5月6日(火)マドリッド市内観光
強い西風の中、夜明け前の市内を妻と二人で徘徊。地下鉄でディアゴナルへ。
途中、大きな犬を連れて地下鉄に乗り込もうとした男が、運悪く警備員(警官?)のいる扉にあたってしまいホームに降ろされチェックされていた。
カタルーニャ広場~バトリョー邸~ミラ邸を見ている間に夜が明けはじめた。
地下鉄でサグラダファミリア教会へ。柵の中に野良猫数匹。どんよりと曇って小雨が。地下鉄でホテルへ戻ると、再び抜けるような青空に。
朝食後、集合時間まで時間が少しあるので、コロンブスの像まで散歩。風が強かった。
飛行機でマドリッドまで移動。赤い大地が印象的。ピレネー山脈のあたりには白い雲がもりあがっていた。
マドリッドで出迎えた現地日本人ガイドはどこかの国の皇太子に似ていた。あだなは「殿下」と彼は言っていたが。そのガイド氏は「5月の40日まではコートをしまうな」といわれていると言ってた。前日は30℃まであったというのに、ぼくたちが到着した時はなんと15~16℃。
昼食付き市内観光は王宮とプラド美術館。
「殿下」は美術に造詣があり話好きなようで、美術館ではスペイン人ガイドが時間を気にしているのに詳しく説明してくれた。美術館に1時間以上いた。 ホテルの部屋に落ち着いたのが20時少し前。
近くのコンビニで買ったもので簡単な食事を済ませて寝た。疲労困憊。
5月7日(水)トレド
前夜のTVの天気予報ではセゴビアは雨、気温は10℃以下。
予定を変更してバスでトレドへ行くことに。トレドは曇、予想最高気温は15℃。
トレドのバスターミナルでタクシーに乗ってパラドールへ。
「ぽどりーあ・えすぺらーる・あき?(ここで待っていてくれませんか?)」と言うと
タクシスタは「ノープロブレマ」と応えてくれたので、安心して見晴らしの良いテラスへ。絶景!
その後、タクシーで観光案内所まで行って、日本語ガイドマップをもらってトレドの迷路を歩き回った。
少し小路の奥まったところにあるレストランで昼食。まだ準備中だったけれど入れてもらった。コースを注文した。
記念にテーブルで妻と料理の写真を撮った。隣のテーブルの人が二人で一緒に撮ってあげるという素振り。好意に甘えて撮ってもらった。
帰りは、鉄道の待ち時間が1時間以上あったのでバスで帰ることに。行きはノンストップで1時間だったけれど、帰りは高速道路から時々はずれて各駅停車(?)で1時間30分かかった。
夕食はホテルの近くのバル兼レストランで。英語メニューがあった。2人でサラダ2つとスパゲッティ1つとビールで十分だった。
5月8日(木)カサ・デ・カンポなど
マドリッド市内を散歩。寒いので一昨日市内観光で行った皮製品の店に行って、妻のコートとぼくのジャケットを買った。
ホテルから、結局カサ・デ・カンポのゴンドラ乗り場まで約5キロを歩いてしまった。デポ神殿で騎馬警官を見かけた。
ゴンドラでカサ・デ・カンポへ。広い。遠くのやまなみに雪があった。マドリッドの街並みが見晴らせた。
再びゴンドラで街に戻って、ゴヤのパンテオンを見学。天井の絵を見るために置いてある鏡をさわっていたら、係のおばさん叱られた。
その後、タクシーでヘミングウェイが絶賛したというレストランBOTINへ。
はじめは空いていたのに、つぎつぎに客が入り、すぐに満席になった。
JCBのセットメニューの仔豚の丸焼きを注文。ワインを昼間から飲んだから、少し酔ってしまった。
ウエイターがテーブルの上のパンくずをフォークとナイフを使って掃除する手際に見とれてしまった。
マヨール広場へ。妻がカリカチュアを5分で1000ペセタで描いてもらった。すぐに人が集まってきて、描かれるところを見物していた。
タクシーでソフィア王妃美術センターへ。ゲルニカなどを見た。ダリの絵が印象に残った。
アトーチャ駅近くでタクシーに乗ってホテル近くのデパートへ行き、チョコレートなどをおみやげに買った。
ホテルで遅いシエスタの後、荷造りをして、部屋で携帯食やデパートで買ってきた果物などで簡単な食事をとった。
ラジオを聞きながら眠ってしまった。はじめて熟睡できた。
5月9日(金)帰国
6時起床。7時50分ホテルロビー集合。空港へ。
バルセロナでは荷物が積み込めなくて積み直しのため、約1時間離陸が遅れたりした。 モスクワでロシア人観光客が降りて席があいたおかげで横になって眠ることができた。
アナウンスでは、バルセロナからモスクワまで3時間45分、モスクワから成田は9時間の飛行。モスクワでは45分休憩。
5月10日(土)
11:17成田着。東北新幹線の車両事故で2時間遅れ。
近くの席にアメリカ人らしい人がいたので、片言の英語で状況を説明してあげた。
2時間以上遅れたので、特急料金の払い戻しができると、伝えたつもりだけれど分かったかどうか。
家に着いたのは19時を過ぎていた。