七ッ屋、福野町の歴史
慶安2年(1649)阿曽三右衛門 福野、町立ての願書
明治元年 慶応4年(1868)上町の大火で38戸が焼け、残ったのが7戸であったため、七ッ屋になった。
今年、平成30年は、明治元年から、ちょうど150年の節目の年
また、七ッ屋が誕生してから、150周年
去年の春ごろから、何か記念になる企画をしませんか。そんな大変な作業に簡単には進まないと思っていましたが、有志の集まりで、A4判、119ページのカラー刷り、江戸時代の町立てや七ッ屋の始まりを説明し、繊維や紡績業が栄えた昭和期の様子を紹介。夜高行燈や夜高太鼓、獅子舞など伝統文化については、写真入りで紹介。夜高祭りを仕切る歴代裁許の名前や年表も掲載し、記録性の高い記念誌が、発行されました。
古い写真では、明治25年の七ッ屋の大行燈、 明治36年の福野町役場、大正時代の、加越線や北一醤油工場、 昭和20年終戦後すぐに米軍が撮影した福野町の航空写真などが掲載されています。また、子供たちの文集「50年後の私と七ッ屋」も掲載されました。
次の、50年後、150年後も、きっと今の子供たちが、記念行事をやってくれるでしょう。
「変わりゆく郷土を見つめ みんなで支えあう新しい未来へ」
H30 11月25日
福野文化創造センターヘリオスにて、記念式典
ケーブルテレビさんの協力のもと、スクリーンで映像と共に、子供たちの太鼓や獅子舞を披露
そのあと、ア・ミューホールで祝賀会が行われました。
新町の山田と申します
七ツ屋誕生150記念誌はまだ あるでしょうか?
福野の昔について 知りたく思います
603-8208 京都市北区紫竹西桃ノ本町21-1
山田正彦
コメントが遅れまして、申し訳ありませんでした。
記念誌の件ですが、発行部数が限定されており、事業協賛者の方々にも配布されていて、余分な在庫は、ないそうです。
どこかで、入手することが出来ましたら、ご連絡いたします。