ちゃぷん

手水舎に”ちゃぷん”と浮かぶ

紫陽花を見にいってきましたnotes

 

line_447879676204137

 

 

 

 

 

 

 

line_447833296704727

 

 

 

 

 

 

 

 

20190707_131840

 

 

 

 

 

 

 

 

20190707_132018

 

 

 

 

 

 

 

 

20190707_110452

 

 

 

 

 

 

 

 

ふんわりと浮かんだ

色とりどりの紫陽花がとても鮮やかで

手水舎の水の音も涼しげでした。

 

これから夏本番。

 

熱中症には十分

気をつけていきたいですね(๑•ᴗ•๑)

 

仕事納め

今年も残すところ3日となりました。

砂土居造園は今日が最終日です。

年末の大掃除も終わり毎年恒例の年越しそばをいただきました。

S__7299097

ご馳走さまでした!

年末年始休業のご案内です。

誠に勝手ながら12月29(土)から1月7日(月)まで

年末年始休業とさせていただきます。

1月8日(火)より通常通り営業いたしますので宜しくお願い致しますconfident

みなさま良いお年をお迎えくださいconfident

七ッ屋誕生150周年

七ッ屋、福野町の歴史

慶安2年(1649)阿曽三右衛門 福野、町立ての願書

明治元年 慶応4年(1868)上町の大火で38戸が焼け、残ったのが7戸であったため、七ッ屋になった。

今年、平成30年は、明治元年から、ちょうど150年の節目の年

また、七ッ屋が誕生してから、150周年

去年の春ごろから、何か記念になる企画をしませんか。そんな大変な作業に簡単には進まないと思っていましたが、有志の集まりで、A4判、119ページのカラー刷り、江戸時代の町立てや七ッ屋の始まりを説明し、繊維や紡績業が栄えた昭和期の様子を紹介。夜高行燈や夜高太鼓、獅子舞など伝統文化については、写真入りで紹介。夜高祭りを仕切る歴代裁許の名前や年表も掲載し、記録性の高い記念誌が、発行されました。

古い写真では、明治25年の七ッ屋の大行燈、 明治36年の福野町役場、大正時代の、加越線や北一醤油工場、 昭和20年終戦後すぐに米軍が撮影した福野町の航空写真などが掲載されています。また、子供たちの文集「50年後の私と七ッ屋」も掲載されました。

次の、50年後、150年後も、きっと今の子供たちが、記念行事をやってくれるでしょう。

 

 

「変わりゆく郷土を見つめ みんなで支えあう新しい未来へ」

DSC_2487

 

 

 

DSC_2494

 

 

 

 

 

 

 

H30 11月25日

福野文化創造センターヘリオスにて、記念式典

ケーブルテレビさんの協力のもと、スクリーンで映像と共に、子供たちの太鼓や獅子舞を披露

DSC_2489

 

 

 

DSC_2491

 

 

 

 

 

そのあと、ア・ミューホールで祝賀会が行われました。

DSC_2495

 

 

 

 

砂土居造園のスタッフによるブログです。ホームページはhttp://www.sunadoi.co.jp

賞賛の数だけボタンを押してください