こんにちは、浅野です。
湖東庭巡りはこれでラスト、歴史的建造物も一か所見てきたのですがそれは冬でもいいので今度にしましょう(笑) 福島滞在中に長野・山梨庭巡りについて載せられるかと思ってたのにどうやら無理そうです
最後は大トリ(?)の彦根城へと行ってきました。ですが、時間がないのでお城は諦めて名勝庭園だけを拝観。
大河ドラマブームで賑わう彦根城周辺。玄久楽々園も結構な混雑でした。
ここは彦根藩の下屋敷として造営がはじまったそうで、昭和26年に名勝指定を受けています。現在は庭園部分を玄久園、建物部分を楽々園と呼んでいるそう。入り口付近から龍臥橋付近を。
玄久園は中国や近江八景を模して造られたそうで、池泉回遊式庭園の見どころ10か所を合わせて玄久園十勝と名付けられています。これは龍臥橋から見た臨池閣。
同じく龍臥橋付近から、今度は中の島の鶴鳴渚を。
玄久園十勝には入ってなかったですが、枯滝もこの付近にありました。
反対側までくると、臨池閣、茶室、彦根城が池越しに見ることができます。風も凪いでいて、水面に彦根城がうつってとても綺麗。やはりお庭越しに見るお城はいいですね!
玄久園出口までくると、出る直前に楽々園の建物が一望できるところに来ます。これが井伊直弼の生まれた槻御殿・・・!
楽々園にはまた別の入り口から入り直します。建物の増減が大きく、この10倍の規模があったときもあったのだとか。
入ってすぐ右側には築山式枯山水庭園。なんですが、日陰すぎていつもの解説本との照らし合わせもなかなかうまくいきませんでした。奥に見える橋は、臨池閣に向かうときに渡る七間橋です。
障子が開け放してある楽々園の書院、日差しは強いけど夏場は涼しそう。彦根って夏は暑いのかなぁ?
のし瓦の部分が変わったデザインでした。修復したばかりなのかな?白かった!
書院の隣にあるのは地震の間、雷の間、一番奥が楽々の間です。
地震の間は江戸時代の地震対策として造られた建物だそうです。地震の際にここに逃げ込んだとか・・・地盤をを岩盤にして強固にし、屋根を軽いこけら葺き、壁は土壁を少なくするとか・・・当時からそういった部屋を作った例は他にもあるみたいですが、初めて見ました。これらの建物の前の枯山水も大きな石ばかりで造られたものですが、建物下の岩盤からの繋がりなのでそんなに違和感ないですよね。建物から滝が流れ出しているみたいでした。
一日でようこんだけお庭巡りできたなぁと思ったぐらい行きましたが、ほんとに琵琶湖の東側一部分だけです。しかも行けてない名勝庭園も何個かありましたし まだ機会はあると思うので、また車中泊で行ってこようかな~(笑)
そうそ、最後に彦根市のマンホール!
井伊家の家紋である彦根橘が由来か、彦根市の市章を中心にその周囲に市の花の橘を配したデザインです。これは玄久楽々園の前で見掛けたのですが、他にもひこにゃんやお堀通りのマンホール蓋などがあるそうです。そういえば、ひこにゃん見たかったな・・・お出ましの時間決まってたんだもんなぁ、さすが全国区のゆるキャラは違いますね
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