昨日はTOMOOさんちで
復興応援コンサートが開かれました。
午後2時46分にみなさんで黙祷を捧げました。
そして沢山の方々の歌や踊りや演奏がチャリティーで行われたのですが
それに先立って
宮城県山元町で当時実際に被災された齋藤さんから
その日(あの日)のお話を伺うことが出来ました。
齋藤さんとは野々島でのラベンダー畑のボランティア作業でもご一緒でしたし
TOMOOさんから毎年ステージに立って頂いている
エクステリア&ガーデン希望の芽in夢メッセ
にも復興応援ブースで手芸品を販売して頂いています。
そんなご縁があって、この度お声がけし
わざわざ今お住いの仙台市から足を運んで頂きました。
メディアから伝わる情報には含めきれない生の体験のお話は
聞く私たちには重くしっかりと伝わるのでした。
『ぎゅうぎゅう詰の体育館で四方から毎日語られる悲惨な光景の描写を
ずっと体に浴びる状態は大人でも耐え難いのに
まして子供達の心痛は想像以上だったと。。。。。』
『避難する車の先の道路上に電柱が倒れていて進めずに
引き返し迂回路に向かう先で津波にのまれた人。』
『沈んだ道路に飛び出したマンホールを乗り越えられずに
車を降りて歩き始めて津波にあった人。
そんな人がいっぱいいた。』
『ボロボロ涙が両目から流れながらも 体育館で配られてた
それでも小さな白いおにぎりを🍙食べてる姿は
今でも思い出すと 涙が出ます』と
其れこそ涙を流しながら語られました。
伺う私たちの目にも涙が溢れます。
齋藤さんが私たちに伝えてくれたこと。
万が一の時があった時に、家族が集まる場所を決めておくこと。
齋藤さんが私たちに伝えてくれたこと。
決められた避難路が必ずしも使える訳ではない事。
齋藤さんが私たちに伝えてくれたこと。
人に共感すること。
なみだに共感すること
帰り際に共感して下さった方々と。