こんにちは、隧道大好き浅野です。
今年もあっという間に7月に入りましたねぇ、社会人になってからの一年の早さは毎年二次関数的に上がっていっているように感じます 私も先月で32歳になりましたし、このブログも初めて今年の12月には10年目突入となる予定です
誕生日の翌日、待ちに待った日帰りツアーに母と参加してきました。
前々回の帰省のときかなぁ、3月ごろ新聞広告で入っていた福島交通のチラシになんとも私好みの日帰りツアーが載っていたのです。広告が入って一週間たたないぐらいに申し込んだのですが、すでにキャンセル待ち8番目でした。ですが、なんとか6月初めにキャンセルが出たと電話あり行けることになりました。あとで聞いたらかなり人気のツアーのようで、去年申し込んだけど行けなくて今年はすぐ申し込んだって人もいたみたいです。
どっちもめっちゃ気になりましたが、この左側のツアーに行ってきました!明治の遺構とか私得すぎます(笑)
ちなみに右側のツアーもすっごい行きたかったのですが(三島さんは山形県の初代県令です)、父に頼んでいくこともできそうだったので諦めました。初代&二代目栗子隧道のある場所は車では行けないし、なにより勝手に入っていくことができない場所にあるので個人ではまず無理なところなのです。
私も母も山登りをすれば吐くことが多い体質で(私は今まで半分の確率で吐いてます)、二人して戦々恐々とこの日を迎えました。登山靴とか持っていないので念入りに準備と休息をとって(笑)。父は登山とかアウトドア系は大好きなのですが、あいにくこの日は太極拳の大会があって一緒には行けず・・・他人に迷惑をかけないことをモットーにゆっくり登ってきました。
なにせ、往復およそ8km。高低差400mの廃道をハイキングしてくるのですから、私たちにはレベルが高かったです。
も、もちろん私はツアーで最年少…でも最後尾近くでした。ほんとご年配方々のほうが健脚ですね!
あの肌色に赤いラインのバスが我らが福島交通。実家最寄り路線の飯坂電車も福島交通です。その昔は弊社の前の道路も電車が通っていて、ご年配のお客様などには「電車通りの・・・」というと通じたりします。
そして、国道13号線の西栗子トンネルを山形側に抜けた先にある除雪センター兼万世大路記念碑公園で休憩をとり、万世大路保存会の方々と合流して、その先にある米沢砕石の中を通って行ったここがハイキングのスタート地点です。
この橋は昭和7年に架けられた二代目の瀧岩上橋で、この橋で栗子川を渡ると本格的な旧道へと入っていきます。橋の真ん中からは勢いよく放水されていましたが、砕石屋さんという土地柄か、道中水がたくさん湧き出ていました。
ここから栗子隧道までは4.1km。いよいよ平均勾配9%のハイキングがはじまりました
まずは、中間地点までにある7か所のむずりを突破することが目標!むずりとはヘアピンカーブのようなところです。
熊に削られた標識が、これから私たちを襲ってくる急カーブを煽ってきます(笑)
保存会の皆さんや慣れたツアー客などは熊鈴をリュックにぶら下げておりましたが、去年のこのツアー開催時には保存会の方が熊除けの花火を打ち上げながら進んだそうですよ。今回は花火こそありませんでしたが、ツアー客が上る前に前もって保存会の方が先に登って気配を出しておいた?みたいです。
ところで、万世大路と名付けられたのは明治天皇でした。
明治14年の秋に、折から東北御巡幸中だった明治天皇をお迎えして栗子旧道の開通式を行ったのですが、開通後しばらくは栗子新道を呼ばれていたのを、その翌年に明治天皇が万世大路と命名されたんだそうです。中国の歴史書・尚書の一節「万世永頼」からとられたもので、「幾世代(万世)に亘って永く頼れる道路(大路)になれ」との願いがこもっています。
その明治天皇御巡幸の際に休憩をとったところが、この記念碑があるここというわけだそうです。
万世大路という名称はカーナビにも出てきますし、地図や道路標識にも出てくるので、昔からこの道がそういう歴史ある道路ということはなんとなくは分かっていたのですが、そのうえで改めて旧道に来ると、あぁほんとに明治天皇がここに御巡幸されてたんだなぁと思いを馳せることができました。もう100年以上も前のことですが。
これは五の曲りですが、往時は片側一車線あった旧道も今やこんな感じに・・・ちなみに、前もって万世大路保存会の皆様方が歩きやすいように草刈りなどしてくださっていたそうです。ありがたい!
3日ほど前に雨が強かったせいか、時々沢道のようになっているところもありましたが、基本的にはこのような広葉樹の雑木が生い茂った登山道(あくまで旧道ですが・・・)を登っていくので、とても目に優しいコースでした。
大きなシダやモミジの下を流れる川を見ながら登ったり、
斜面でタニウツギが満開だったり、
ヤグルマソウが満開だったりして、山野草好きな母も大興奮!
古い石橋は、路面だけコンクリートが打設してあるもの。
昭和の大改修で積まれた石積。この手前にはエゾアジサイが両脇に植わった道で、まだ咲いていなかったですが今週末ごろは見ごろかもしれませんね。
ここから、約1.5km。最後は母と二人ほぼ無言で登りました。そして、母に先んずること100mほど・・・ついに見えました!
隧道です!!!
この時点で、39人のツアー客の後ろから数えて5番目ぐらいでした(笑) いいんです、ここまで来れたんだもの
近づいてみてもう一枚。標高884m、4.1km歩いてきました。
見にくいですが、右の隧道は明治14年に荷馬車の通れる道路として完成した第1世代のトンネルです。20年ほどあとに奥羽本線の福島米沢間が開通するまで、輸送路として活躍しておりました。
左の隧道は、昭和12年に自動車が通れる道路として改築が行われた第2世代の栗子隧道です。しかし、冬季はもちろん通行止め。第1世代の栗子隧道は冬季は囚人が労役して雪踏したそうです。
第1世代の栗子隧道は、岩盤を手彫りしたものです。見た目は完全に洞窟ですが、ここを荷馬車が通ってたとはすごい。
目を瞑っている私、麦わら帽子をかぶってタオルマフラーを巻いて頑張りました
この隧道の右上には栗子神社があったそうです。
第2世代の栗子隧道。こちらは前に立っていると冷気がバンバン来るので、しばらくここで涼みました(笑) 第1世代の隧道では冷気来なかったんですよねぇ、コンクリート製と岩盤手彫りでは違うのかなぁ。
右から読む栗子隧道・・・歴史を感じますねぇ。
なお、どちらの隧道も抗口からすぐのところで崩落が起こっており進入は禁止されておりました。
現在の東と西の栗子トンネル(第3世代)はこれから約25年後の昭和41年完成です。母はかなり小さいころ、私の祖父に「いま新しいトンネル作ってるんだぞ」と言われたのを覚えてると言っていたので、ここを通ったことがあるんでしょうね。すごいなぁ・・・って、年齢がばれちゃいますね(笑)
そして、東北中央道にできる第4世代の栗子トンネル(トンネル自体は完成しています)。今年度開通です。
これは次のブログでご紹介することにしましょう!
第1世代から第4世代までのトンネルを体感するべく、明治と昭和の遺構のために頑張った甲斐がありました。古い隧道って怖いけど、みんなと一緒なら怖くない!!機会があればぜひおすすめしたいツアーでした。
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