息子にバトンを渡すべく
弊社ホームページをリニューアルしました。
こちらです→https://plan-new-f.co.jp
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陸前高田市を走る国道45号線沿いの歩道の植樹帯に
花を植える活動が一旦終了する事になり
そして今回の球根の掘り上げ作業がその最後の作業と聞き
先日 10/22(土)に伺って来ました。
陸前高田市は町全体をかさ上げしてしまうために
現在の道路も歩道も深く盛り土の下に埋めれます。
その工事がいよいよ道路部分にも始まるので
フラワーロードの活動が終わるのだそうです。
この活動が無くなれば 私も陸前高田に来る事もなくなり
また 何かで訪れたとしても
一緒に活動して出会った地元の人たちとお会いするのは
偶然に頼るだけのか細いものになるのだなあっ
などと考えながらの なんだか寂しさの伴う往路の車中でした。
初めて伺った日のブログ←2013/11
〜〜〜つづく〜〜〜
再
当日は朝から現場での打ち合わせがあり
体が空いたのが朝の8時半。。。
『この時間から出発しても きっと作業には間に合わないなあ〜っ
行くのやめようかなあ〜・・・・・っ』
そうも考えましたが
『やっぱり今日行かないと二度と声交わせなくなる人がいっぱい居る』
そう思い 出掛けました。
山形から陸前高田迄は220Kmあまり。
着いたのはお昼を過ぎて 1時近くでした。
既に作業は終わり 公民館での長年の活動の慰労会に混ぜて頂きました。
私なりにこれまで山形から参加させて頂いて来たことの その思いも
お話させて頂く機会も取って下さり 多くの出会いに感謝の思いを申しあげて来ました。
フラワーロードの作業に初めて訪れた時のお昼休みに
敷かれたブルーシートに上で
『おしくらまんじゅうを見るように
家が家を押して潰れていった』と言う津波の様子や
亡くされたお父さんやご親戚のことを 私に話して下さったFさんたち母娘。
仮設住宅から災害復興住宅に引っ越して
そのベランダに今年咲いた数々のプランターの中の花たちを
スマホ開いて嬉しそうに見せてくれました。
『来年の春頃に 陸前高田の千本松原を復活させるための松の苗木の植樹が行われるんだよ』
っと教えて頂きました。
よ〜し んじゃあ 今度はそれに来ますっ と約束して
また山形に帰って来ました。
陸前高田のフラワーロードから掘り上げたスイセンの球根と
植える予定だったチューリップの球根を
すこし分けて頂いて来ました。
山形の地に植えようと思います。
それが希望の芽となってまたどこかに拡がればいいなあっ
25日の朝は青森市で迎えました。
さてさて一昨日 そう25日(土)は陸前高田市での花植えの日
6時過ぎに青森を出て 9時にはなんとか陸前高田市に着きました。
新花巻駅まで新幹線。
そこから車で陸前高田市にっ
花巻から陸前高田市までは
およそ100㎞ほどの移動でしたよ
集合場所は元の陸前高田の道の駅跡
震災遺構として津波の傷跡をそのままに残されています。
左下から中央上に向かって伸びるラインは建物の中に突っ込んだ松の木です。
途切れたこの歩道の先にある確かな未来に
きっと繋がるのだと信じる人たちが黙々と花を植えています。
地元の人はもちろんのこと
岩手県内、東北各地、そして関東、北陸からも人は集い
総勢70名以上が12.000ポットもの花を植えました。
オカモト セルフと書かれた赤い看板の上まで
津波が来たそうです。
その水位15.1m
お昼を食べて午後の作業に入る前に関東からおいでのグループさん達
ハンドベルの演奏です。
大きな拍手とアンコールの声。
この道の先は
明るい未来であって欲しい。