こんにちは、浅野です。
先日、砺波市の花しょうぶ祭りを見に行く前に、前から気になっていた南砺市の井波別院瑞泉寺に行ってきました。南砺市というのは砺波市の南、富山県の南西部に位置していて8つの町や村が合わさってできた市です。世界遺産で有名な五箇山(2015/8/22ブログ)で有名ですね ちなみに、金沢市や白川郷のある岐阜県白川村や飛騨市にも接しています。
その広大な南砺市一番北にある旧井波町は、砺波の街中にも近いので絶好の機会!でした。最初に井波別院を見かけたのは引っ越してすぐだったのですが、南砺市は五箇山か福光あたりにしか行かないのでなかなか機会がなくて(国道304号線がそこあたりの町を通ってるというのが大きいです)。
門前町です。お店は井波特産の木製品(彫刻が主なのかな?)屋さんが多かったかな?あとは酒屋さんとかね。
先月ブログに書いた城端曳山祭(2017/5/8ブログ)でも書きましたが、あの曳山の彫り込みなどは井波の職人が行っているんだとか。
こちらは門前町にあるバス停です。なにに注目して写真を撮ったのかというと、
これ!!
バス停の看板の上の丸いところが木でできている上に、掘り込みが細かい!さすが井波だなぁと思いました。
門前町の坂を登っていくとあるのが、井波別院瑞泉寺です。この門の両脇は高い土留になっていて、
それがただの土留ではなく、ロックガーデンになっています すごい迫力~!
初めて井波に来たとき、偶然この道を通過してこのお寺が気になっていたのでした。
入るとすぐに見える大きな山門。江戸時代後期の1809年完成しました。
東本願寺の棟梁を務めた大工が棟梁となり起工したものの、その3年後に本山が火災に遭い帰京。あとを井波の大工が引き継ぎ完成させたそうです。富山県指定の重要文化財。
山門をくぐると、広い境内の正面が本殿、その向かって左が太子堂になります。
本殿入り口から太子堂を。
入り口両脇にはおおきな水鉢のようなものがありました。直径4mぐらいはあるんではなかろうかという巨大なものです。この本殿は1885年に再建されたもので、単層入母屋造りとしては北陸随一の大きさだそうです。
瑞泉寺は、1300年代に近くの八乙女山の草庵で親鸞聖人の教義を弘めていた綽如上人によって開創されました。中国との国書のやりとりの際に上人のおかげで国の体裁を保てたことを経て、上人が宮中において学問を教義されたことなどを通して、聖徳太子の絵伝八福(掛け軸って一幅二幅って数えるんですね)を下賜されたそうです。また、上人が北陸真宗の中心寺院建立の願いを知られた天皇がこれを勅許されてこれが建立されることになったそうです。
本殿から太子堂へ。太子堂はその名の通り、聖徳太子を2歳の尊像が中央に安置されています。1918年に井波彫刻の粋を集めて再建されました。
太子堂入り口の立て看板。こういうところまで美しい彫刻が彫られています。
二つの建物の間には小さな坪庭。
そして、山門が見えました。とても広い前庭ですが、7月末の一週間に行われる太子伝会では、聖徳太子の一生を表した八幅の絵巻物が公開され絵伝による絵解きが行われる全国でも稀有な行事にたくさんの人が集まるようです。これらの絵巻物は縮小したものが太子殿の横の宝物殿に四幅までが飾られており見ることができます。
この奥に見えるのが宝物殿ですね。太子殿から渡り廊下でこちらもそのまま行くことができます。この中には、初代住職から現住職までの家系図のようなものがあり、その中には昭和天皇のお名前や高司家などといった名前も出てきていました。こんな山の中に天皇家と関わりがあるような略図が出てくるとはびっくりでした。
また、本殿の奥には年に1回しか公開されないお庭もあるようで、そちらの写真も見てきました。機会があれば見に行きたいところですが・・・おそらく行けないでしょう。残念。
前々から来たいと思っていたお寺にやっと来ることができてほっとしました。なかなか説明がなくて分かりにくい部分もありましたが、井波に歴史ある古い寺院があるってすごいですね。福島市にはそういうのあまりないような・・・北陸はやっぱり京都に近い分いろいろとあるのかなぁ。
井波は街並みから歴史あふれるところで、木工品や彫刻製品などをたくさん展示してあります。井波彫刻の歴史などは調べていなかったのですが、またじっくりと調べてみたいです。
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