日別アーカイブ: 2018-10-20

* 『南三陸町』へ

 

垣根と小花

 

友人と
電車とバスを乗り継ぎ、「南三陸町」のホテルに1泊してきました。
南三陸町は、宮城県北東部にある町です。
この辺はリアス式海岸ですね。

旅の始まりは、栃木県足利市のJR足利駅で待ち合わせbus
ここの待合室にはこんなポスターがnotes
「渡良瀬橋」は足利市にあります。

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🎶「渡良瀬橋」

 

新幹線で「仙台」に到着。
ランチを済ませて、 迎えのホテルのシャトルバスに乗り込む。
途中SAで休憩を挟んで、2時間近くの乗車でした。
バスの窓から、防潮堤でしょうか、工事現場が見えました。

南三陸町と言うと、7年前の大震災で多くの犠牲者が出た町ですね。
ホテルのロビーにはこんな展示がありました。DSCN8959DSCN8945

 

それから、映像も・・・
南三陸町防災対策庁舎震災後の「南三陸町防災対策庁舎」です。
ここでは、胸を締め付けられる悲しい出来事がありましたね。

以下、「ウィキペディア」より 防災庁舎の悲劇
2011年(平成23年)3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。
当初の6mという津波予想のため、庁舎に留まり避難しなかったのが、
犠牲者を大きくする一因となった。

2階に危機管理課があり、町災害対策本部が置かれた。
本庁舎では津波来襲の15時25分頃まで、防災無線放送で繰り返し
住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。
本庁舎から発信された約30分間の防災無線の放送音声は全て録音されている。

危機管理課の女性職員は繰り返し避難を呼びかけ続けたが、
波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、
最後の4回のみ「10メートル」と放送した。
音声は、放送を続けようとする女性職員の声を遮るように
「上へ上がって 未希ちゃん(女性職員の名前)上がって」という
周囲の制止の声を最後に放送が途切れている。
この女性職員は津波に飲まれ殉職した。

最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の行動は、
「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、
埼玉県の公立学校で2012年の4月から使われる道徳の教材に掲載された。

今回、現地に足を運ぶことはできませんでしたが
1日も早い復興を祈ります。

 

宿泊したのは、海辺に建つ大きなホテルでした。
津波により浸水した部分もありましたが、
高台の岩盤の上に建てられていたため、
生き残ったホテルとして
指定の避難場所ではなかったですが
震災直後より被災した住民の受け入れなどを精力的に行ったそうです。

 写真は撮れませんでしたが
露天風呂から
短時間、きれいな日の出が観られましたsign01

320画像はホームページより
私たちではありません(笑)

 

早朝、部屋の窓ガラス越しに・・・

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ベランダにカモメがheart01

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bus

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仙台をちょうど12時発、
帰りの新幹線で駅弁のランチを
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今回は
美味しい海の幸と温泉を楽しむ
のんびり二人旅でした。

 

庭に、その友人からもらった小さな苗が育って、
3種の花が咲いてますnote

「ミズヒキ」

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「ツワブキ」
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「ホトトギス」

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それから、初めて蕾が付いた「侘助」sign01
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大事に育てます(^-^)