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木瓜(ボケ)の花が咲きました

春が忙しくやってくる3月ですが、 その3月も終わろうとしています。
まるで春風がそれぞれの花々の頭をなでて走り回っているかのように思われます。
我が家の庭の花は次々に咲きだし色鮮やかな庭になりました。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と言われます。世の変化も早いのでしょうが、
桜と同様に毎朝眺める庭の花々の変化には驚かされます。
木瓜の花が2,3輪咲きだしたかと思うと瞬く間に、満開になり、気づくと木瓜の
花にメジロが来て蜜を吸っています。その景色は平和な安らかなひと時を味わわ
せてくれます。
万葉集にも野の草花や花木をうたったものがたくさんあるようですが人の心に
寄り添ってくれる草花の癒しは時代を越えて日本人の中には流れていることを感じます。
昨年花友達が若くして逝ってしまいましたが、花を見るたびに友と語った思い出がよみ
がえります。
人の命ははかないものですが、花々は小さな人の命の生き方をやさしく包んでくれる
ように思えるのです。
花を育てながら、いつまでできるだろうかと思う日もありますが、このように咲いて
いる花々を見るとそんな心配さえも忘れさせてくれます。
今年もミモザアカシアが見事に咲きました。もう何十年前になるでしょうか。
名古屋の洋菓子屋さんの2階で洋画家「三岸節子」の絵画の常設展がありました。
私はそこでミモザの絵を見たのです。入院の多い子供の体調の悪さに心が落ち込んで
いた時にその力強く表現されたミモザの絵に心が動き力を得たような思いになったの
です。その印象が余韻のように私の中で残っていました。そこでミモザの苗を購入し
育てようと思ったわけです。ミモザは大木になり、強風に倒れやすいようですので鉢
植えにして育てています。咲き終わったら毎年植え替えなければなりません。
根は細いため植え替え後、根が育つように気遣ってあげなければなりません。
根が土になじみ育ちだすと夏頃には蕾が付き、蕾の時期が長いのが特徴です。
今は亡き義母が植えた木瓜の花もきれいに咲きました。義母の自慢の木瓜
「日 月 星」(じつげつせい)は1本の木から一重の花がたくさん咲きます。
その花の色が白色、赤色、桃色、絞りと見られ、花の不思議さは物語のようです。
昨年、利休梅を植えました。純白で品がある花です。初夏まで咲くそうですから
長く楽しめそうです。花は地味ですが清々しさがあります。茶花として好まれている
ことや、利休の命日の頃に咲きはじめることから別名「リキュウバイ」と呼ばれて
いるそうです。
3月も終わりになりましたが我が家の庭に咲く花々をご覧ください。

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「私の四季」 紅梅が満開です

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寒い2月も終わりに近づきました。風は冷たくほほを打ち我が家の庭もひっそりと春待ち顔です。

それでも少しずつ春が近づいていることを花々は教えてくれています。

庭の餌台には大きなヒヨドリが一番手でやってきますが、雀もおどおどしながらも餌を食べに来て

います。気が付くと餌はすべてなくなっています。2月の花々をご覧ください。

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皇帝ダリアがネリネが咲き晩秋の花は色鮮やかです

 

  maple11月も終わり近くなり1年の速さを感じます。

我が家の愛犬「こむぎ」は12月でまる19歳になります。人間でいえば90歳を越した老犬と言えましょう。犬付き合いが悪くて家族以外はあまりなつきませんが、とてもやさしくて律儀な犬です。犬慣れしないのは捨て犬であったからかもしれません。目も悪くなり、この頃は散歩も家の周りだけで後ろ脚の筋肉が弱っているため餌を食べる時、後ろ脚が滑ってしまいます。寝ていることが多くなり立ち上がるのも大変そうです。毎日愛犬「こむぎ」を抱いて庭の景色を見せてあげると嬉しいのか私の顔をペロリと舐めます。以前はうれしいときは猫のようにゴロゴロと感情を表現しましたがこの頃はできなくなりました。家の中でそそうをすることも多くなりました。しかし、家族として、どんなに癒されたかしれない愛犬です。別れの覚悟はしなければならない時期に来ていますが、今日も庭の花を見せることができました。

11月の我が家の庭に咲く花々をご覧ください。

 

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朝顔「天上の碧」

私の四季  朝顔「天上の碧」が10月中旬から咲きだしました

        秋の深まりが感じられます。朝顔「天上の碧」が見事に咲きだしました。

息をのむような碧の色彩で、さらに朝だけでなく夕方まで咲いています。

今朝の朝顔の咲き具合はどうか、確かめるのが目覚めの楽しみになっています。

日本画家鈴木基一が描いた朝顔の絵のようです。梅の木の枝に絡まり、まさしく

名前の通り「天上の碧」洋名(ヘブンリーブル―)です。

昨年弟の家であまりにも見ごとに咲いていたので苗をもらい植えました。

心待ちにしていた10月の朝顔です。

気温が下がってきたからでしょう、他の花々も色鮮やかで秋のページをめくっています。

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「夕顔」が咲き  そして9月の花

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猛暑が終わるころになると夕方から早朝にかけ咲きだすのが「夕顔」です。ちなみに、この夕顔は「源氏物語」に出てくる夕顔とは違い明治になり外国から輸入された花だそうです。純白で大輪に咲く花です。一度見たら記憶に残る花と言えましょう。その香りはほんのりと気高さがあって宵闇に見る夕顔は息をのむような美しさで魅力的な花です。毎年、夫が種を傷つけ5月に蒔き本葉が出ましたら近所の花好きな方々に差し上げています。花好きなうちのおひとりで、とても夕顔の好きな花友達がいました。花の香りを掌で包むように顔を着けて花を愛おしんでいた様子が思い浮かびます。花を通し生活や今の自分の思いを互いに語る楽しい時間がありました。その友が突然60代の若さで亡くなられました。突然のことで信じられない思いが続いています。しかし、現実は会えない、語れない寂しさを知らせています。そんな思いを心に飲み込んで今年の夕顔を眺めています。美しさと寂しさ、そして生命のはかなさを感じる9月に夕顔は咲いています。

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酔蝶花

酔蝶花(すいちょうか)がそして涼しげに風蘭も咲きました。

 

猛暑の夏は植物たちもくるしげですが、それでも夏の宵から翌朝にかけて酔蝶花は鮮やかに咲きました。そして風蘭が 木陰で涼やかに咲き見るたびに心が踊ります。西洋蘭のように華やかではないなりにさらに美しさの余韻が残ります。

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酔蝶花

酔蝶花

酔蝶花

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酔蝶花

酔蝶花

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酔蝶花

 

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7月の花

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酔蝶花

夏空綿雲やイワシ雲が見えなくなる頃
酔蝶花は夕闇から夕闇へと
手を広げるように咲いています

酔蝶花は深い闇の伝説を語るように
どこからか吹いてくる風のそよぎに
微かな香りを混じらせていきます

すると大分過ぎてしまった時計がまわりだし
消えていた私の悲しさや
淋しさの匂いが
酔蝶花の傍らに漂い始め
あの時の後ろ姿がひとしお蘇ってきます

故郷を離れた夜の深い哀しみ
行き先の不安を感じるような
全山を包む漆黒の中
無情なほど進むことを拒んだ山霧
あの時の峠が迫ってきました

夜はひっそりと心の波紋を広げていきます
今宵の月明かりは
ひらりと昼間を飛び越えて
ひらりと過去を押しやって
夜は静かにたゆたゆと流れています
酔蝶花の蜜を吸うように
虫たちが飛びかい命をつないでいます

いくつもの思いを背負った私の心歌は
命をつなぐことはできたのでしょうか
私の眼の奥で
揺れている私の道すがらを
酔蝶花は夜のやさしさで包んでいます

白の紫陽花

我が家に咲く6月の紫陽花。 そして詩。

紫陽花が咲きだしました。庭中をいろどっています。種類により 紫陽花の咲く時期は多少のずれがあります。しかし、実に梅雨に 似合う花だと思います。早く咲く種類は従来あるマリンブルー色で手毬のように咲く紫陽花と純白に咲く柏葉紫陽花です。それから 額紫陽花が咲き他の紫陽花もつぎつぎと咲くこの時期は、目覚め るのが楽しみになります。更に家中が紫陽花づくしになります。仏壇や居間や玄関、はたま たトイレまでそれはそれはうれしいひとときです。ご近所のお花が好 きな方々にも差し上げています。7月になったら翌年咲いてもらう ための枝切の世話をしなければなりません。そんなときは体力の 衰えを感じながらも来年咲いてほしい一念で作業にいそしみます。コロナ禍で人との交流が少なくなり、寂しく思われるときもあり ましたが庭に咲いている花々にどんなに慰められたか計り知れません。どうぞご覧ください。

紫陽花

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フェルメール・ブルーに咲いた

あじさいは

限りなくやさしい水面の鏡のようです

見上げると雨上がりの虹が

青空に橋をかけています

 

下り坂の私の風景にも虹が見えると

神様が虹を渡ると思えるほどの

無邪気なひとときが流れます

 

通り過ぎた風景をはかるように

日常の針を動かすと

生きるために呑みこんだあまたの感情が

虹色の付箋を付けて私の物語ににじんでいます

 

まいまいつぶりが

私の心を描くようにあじさいに揺れています

今日の愛おしさを小さな虹にして

コーヒーに溶かしてみたくなりました

 

 

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「私の四季 そして詩」  薔薇が次々と咲く5月です

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怖さも悲しみも知らないころ
父が撮ったモノクロ写真
弟と私は
つるバラの前で笑っています

薄くルージュを引くころになると
哀しみを知りました
別れがありました
私の心はがらんどうのまま
赤いつるバラをすっかり忘れていました
私にとって忘れることが生きることでした

バラを漢字で薔薇と書こうと思ったころ
風景が少し動きだしました
私と夫の手にぶら下がり
見上げる幼子の問いかけに
愛おしさが溢れだし
私の風景は穏やかに弾み
バラを花瓶に活けるようになりました

今は巣立った子供たち
残された時間
鮮やかに咲いたバラの前で
呑みこんだ時間をまさぐるように
また弟と並んで写真を撮りました

バラの輝きとまぶしさに
二人とも心はゆらゆら揺れて
いつか消えていく命を覚悟しながら
照れ笑いをした二人の影法師は
あのときのモノクロ写真にかさなり
バラの香りは遠い記憶をやさしく包んでいます

麦なでしこ

私の四季 そして詩  「麦なでしこ」が鮮やかに咲いています

麦なでしこ

麦なでしこ

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麦なでしこ


 

忘れていた
恋しい思いを連れてきては
鮮やかに今年のワルツを踊っている麦なでしこ

 
風に揺れ
私の思い出をたくさん集め
70を越えた私の哀しみに
寄り添って今日の楽しさを
私に手渡してくれています

日差しは私と麦なでしこをやさしく包んでいます

 

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私の四季  ないにわいばらが咲きました

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5行詩    なにわいばら     高安ミツ子


白い花びらは

春の息吹を集めて

乙女のあこがれのように咲いています

春は生命の輝きを口ずさみ

舞い散る花びらは今日の風を受け止めています

 


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我が家の春の庭です。春はせわしくそして軽やかに

時を刻んで楽しませてくれています。