季節が日ごとに変わっていきます。庭の花たちはその変化をいち早く知らせてくれます。今年も見られた美しい花に喜びを感じています。また、庭の手入れが花たちの答えを示しているようにも思えます。見るたびに、花たちとの無言の約束があるように思えて今日の私の心が蝶のように飛び交っていきます。
数年前にお祝いにいただいた胡蝶蘭が冬を今年も越すことができました。今年は5輪咲きそうです。気遣った分だけ喜びが大きいです。

瓜(ぼけ)の花が咲きだしました。ミモザが終わり、そして木瓜が咲きだすと本当に春が手招きしているように思われ、庭に出ることが楽しくなります。木瓜は果実が瓜に似ているから木になる瓜として木瓜といわれているようですが、実際はバラ科だそうです。我が家の木瓜は義母が盆栽として愛でていたものです。義母が盆栽をすることができなくなってからを庭に植えました。もう25年ぐらいになりますが今年もたくさんの花をつけてくれました。種類は「日 月 星」と「東洋錦」です。一輪の枝に複数の花色で咲くのです。「日 月 星」は赤、白、白に赤の絞り「東洋錦」は赤、白、ピンクと咲き、まさに春にさきがけ、マジックにかけられたような鮮やかさです。「これだけは残してほしい」といった義母の気持ちがわかる思いで眺めています。義母の年齢と私の年齢が近くなってきたためなのか、花にも関わる人の物語がいつしか紡がれていることを感じます。メジロが蜜を吸いに来ているのを部屋から眺めるのも至福の時間です。 残念ながらメジロのシャッターチャンスをとらえることはできませんでした。
冬ごもりをしていた虫たちが動き出す季節だそうです。我が家の庭も冬枯れから少しずつ春の訪れを感じさせてくれるようになりました。梅をはじめ花が咲きだしました。ミモザアカシアはその先頭に立って私の心をウキウキさせてくれます。黄金色の鮮やかさは目を見張るのもがあります。ミモザアカシアは大木になりますので鉢植えでそだてていますが、かれこれ20年になります。洋画家「三岸節子」の力強く描かれたミモザの絵を見て感動し購入したものです。年齢を重ねできないことも多くなりましたが、ミモザアカシアを見て感動をする心がまだあることに私はうれしさを感じます。嬉しさをお分けしようと押し売りになってしまいますが、ご近所の方々にも見てもらっています。咲き終わった後は、鉢植えですので根が張ってしまいますので毎年植え替えなければなりません。今年も春だよりは嬉しさを連れてやってきました。
2月に入り雪だよりも届く寒い日を迎えています。
北陸の地震の様子を聞くたびにこの寒さを乗り越えるには身体も精神も並大抵のことではないでしょう。
月並みな言葉しか見つかりませんが一日も早い復興を願うのみです。
そして、日常をつつがなく過ごせる有難さを感じる2月を過ごしています。
冬枯れの庭でも春を待つ花々の気配が感じられ、78回目の春を待っています。
人生100年とお祭り騒ぎの掛け声がきこえてきますが、誰しも生きられることでもありません。
それでも春を迎えようとする気持ちには何かに期待したい思いに駆られてきます。
春待ち時に味わう思いかもしれません。
いま椿が咲き 水仙が咲き紅梅が咲きだし、そしてミモザが間もなく咲きだすでしょう。
春を待ちながら草花の世話をしていると庭の花々は私を待っているような思いに駆られてきます。
営みの中で揺れ動く私の感情は季節に彩られた草花に包まれることで生きる力をもらっているのかもしれません。
それは論理でも幻影でもない優しいリアルな美しさに触れさせてくれるからかもしれません。
庭には鶯色の翼をもったメジロがかわいらしくリンゴを啄んでいます。そんなところへ
ヒヨドリがやってきてメジロを退散させます。我が物顔で餌をついばんでいます。
野鳥が生きることはそれぞれに大変なことでしょうがついメジロに加勢したくなってしまいます。
また翼に白い紋付を付けたジョウビタキも2回程庭で見ました。
残念ながらシャッターチャンスはありませんでした。
我が家に咲いている2月上旬の花をご覧ください。