アイキャッチ画像は、学生の街、コインブラで見かけた独特な形をしている12弦のポルトガルギターのオブジェです。 ポルタガルを旅していて何度か見かけたポルトガルギターのオブジェ 国民に愛されているギターだと思います。 リスボンに行った晩ですが、食事の後、夜遅くファドを聞きに行きましたが、その時にポルトガルギターを演奏するギタリストも居ました。
世界遺産になつているコインブラ大学は、13世紀に設立されたポルトガル最古の大学で欧州屈指の名門国立大学で、現在でも2万人以上の学生が通い、黒マントで知られている大学です。 街の中心になっているこの大学での、いちばんの見どころは図書館ですが、図書館の中は撮影禁止になっていてみせることが出来ないので興味のある方はどうぞ。 コインブラ大学図書館
現在でも、本の貸出をしていて、本の保護の為に館内に9匹のコウモリを飼っていると言うから驚き、館内に侵入した虫を食べてくれるようだ。 世界一美しいと言われる図書館が実感できた。
ポルガルから伝わり現在でも日本で使われている言葉が多い、その中の、ひとつが金平糖でポルトガルではコンフェイト(confeto) 良く似ているが、日本の金平糖のような透明感がなく味は素朴で食べやすい感じがしたコインブラのコンフェイトが有名なようだ。 お土産用に幾つか購入
コンフェイトが売られているお店から数件先に、TOLEDOの看板を発見してビックリ、私の会社と同じ
コインブラの広場に地植えされている極楽鳥花が咲いていてのには驚いた、暖かだと言っても冬のヨーロツパの街で、この花が咲いているとは、どうしても南国のイメージが強い
コインブラを後に運河の街アヴェイロに向かいました。 この街の現在では使われていない駅舎のアズレージョが見事。 新駅はすぐ横にあり、そこから入り旧駅舎の反対側を見ることもできる。
焼き栗はポルトガルの冬の風景らしく、どの街でも見かけた。 ちょっと白っぽくなつてはいるが味は日本の焼き栗を素朴にした感じ
アヴェーロの街を歩いていて見かけたスイーツ屋さんを覗き、衝動買い。オヴォシュ・モ-レツはアヴェーロの名物の様で形が運河の街らしく貝や魚の形をしていて中に卵黄で作られてクリームが詰まっている日本で言うモナカ バンデローを買った時に箱の中にスプーンが一緒に入れられた 食べてみてわかりましたが、中は半熟卵状態のドロドロ これがカステラの元祖の様です。
運河には、船がたくさんありベネチアの船に似た形のものもあり、それぞれに手書きの絵が描かれていた。
つづく・・・・
ポルトガルギターのことは知っていますが、街中にそのオブジェがあったのには気が付かなかったです。
コインブラにはクリスマスの電飾が飾られている頃に行き、コインブラ大学にも行ってみました。図書館がすごく印象に残っています。記憶が定かではありませんが、外が見える窓際に机があったような気がします。あるいは、たまたまフランス人の観光客に係の人が説明をしていて、その時に読書室のような場所を見せていたのを見ていたのだったのかもしれません。こんなところで本を読んだらいいだろうなと思ったものでした。もっとも、読める本がおいてあるわけはないのですが。
コインブラの次に行ったのが同じくアヴェイロでした。まだ新駅はできていなかったような気がします。何しろ通貨がユーロになる前のエスクードを使っていた20世紀末の冬でしたから。
冷たい雨が降る中を旧アヴェイロ駅から中央運河まで歩いたのを思い出します。アヴェイロ駅ではバスで来たアズレージョ目当ての日本人団体観光客に遭遇しました。まだポルトガルツアーが極めて少ない頃だったので、たぶんその同じバスに運河付近でもう一度あった時には、バスに向かって手を振ったりしました。
オヴォシュ・モーレシュ、すごく甘かったのを覚えています。コインブラで買ったか、どこで買ったのか、曖昧な記憶ですが。
コインブラ以外の街でも、ポルトガルギターのオブジェを何度か見かけました。
リスボンニ宿泊した夜に、アデガ・マシャードというファドハウスに行き ファドとポルトガルギターを聞きました
とても良い思い出になったし、歌い手とも ツーショットで写真が撮れました
コインブラ大学の図書館も凄かったですね、
アヴェイロの旧駅舎は良かったのですが、運河は昨年ベネチアに行っているので、少しがっかりでした
季節のせいだったと思いますが、旅行者は少なく、韓国人を見かけても、それ以外の旅行者は日本人
旅先で日本人に出会うのは仕方がないのですが、できれば その土地の人達に多く出会いたいです。
アヴェイロの運河、ベネツィアと比べると、そうですよね。僕の場合、雨だったせいか船の数も少なくて、がっかりでした。
旅先で日本人観光客に合うのは、頻度が高いと、少しうんざりしますね。(自分もそう思われているかも、ですが)
僕がポルトガルに行った頃はまだ日本人観光客は少なくて、ヨーロッパからの乗り換えの飛行機でも、ほかに日本人がいるかどうかわからないくらいでしたから、旅先で同胞に会うと、団体客でも嬉しく感じたのを覚えています。
乗り継ぎの空港で、すれ違った日本の団体に、私たちの事をヒソヒソとチャイナと話している声が聞こえて 驚いた事があります
現在のヨーロツパでは、比較的安全なポルトガルの旅に出かけている人が増えているようです
ポルトでも、コインブラでも、クラブツーリズムの団体に出会いました、リスボンではトラピツクスの
それでも、この季節は、シーズンオフで旅行者が少ないとか。