やっと咲き始めた、タケシマホタルブクロ、蕾もたくさん付いています。昨年よりも株が増えているので、これからしばらくは楽しめそうですが。
今週はこれから羽田に行き、そこから女満別まで飛び、心の故郷である斜里に向かいます。
初めて斜里に行ったのは40年以上も前のオホーツクで咲く桜の花が咲く頃でした。
斜里で過ごした5年間は、私の人生の中でも大切な時期で、愛知県から旅行で来ていた嫁さんとの出会いの町です、出会ってから結婚することを決心して信州に戻りましたが、当時無職だった私との結婚をよく承知してくれたものだと今でも感謝しています。
当時は、まだSLが走っていて海岸線に沿って走るSLを見に行ったり、知床連山から登る朝陽、網走に沈む夕日を見に行ったり、斜里の浜に寝そべりオホーツクに落ちていく流れ星を見たりして毎日が楽しくて仕方がなかった日々を過ごしていました。
斜里には、母さんと呼べる人が居ましたが、昨年、永眠され、かあさんに会いに行こうと思っていましたが、なかなか時間がつくれず、原生花園の花が咲く季節になってしまいました。
かあさん遅くなってすみません。
眼を閉じれば、知床の山並みが、オホーツクの波が、羽を大きく広げて飛ぶオジロワが・・・・
いろんな事が思い浮かばれる心の故郷です。
前回、斜里を訪れれたのが、とおさんが永眠された10年以上前の事で、まだ子供達が学生だった頃、家族4人で行きました。子供達は、その時が2度目の斜里でした、娘・息子のふたりには斜里にちなんだ名前が付いていて、ふたりには耳にタコができるほど名前の由来を聞かせていたぐらい私達には大切な故郷です。
旅行で訪れた、嫁さんに初めて見せた花は、オホーツクの砂丘近くにある原生花園で、一面にスズランの花が咲いている場所です、友人とその弟と3人で北海道を旅行していて、予定では私の居た斜里ではなく知床に宿泊予定していたのですが、何故か斜里ユースに来たのです、人生には、奇跡のような事が起こり、この時の出会いがなければ私の人生はまったく違うものになっていたことでしょう。
こんな私達を、いつも気遣ってくれていた、斜里のかあさんです。
おみやげを買いに小布施に行き、栗菓子を買った後で、泉石亭に食事に行きました。 泉石亭に行くと、メニューを見なくても毎回同じ注文をしています。 嫁さんは栗わっぱ御膳で私は甘精堂御膳です、栗が3っ乗ったもち米のご飯に蕎麦・大きなエビ天ぷらに豚の角煮とけんちん。
北海道はね美味しいがたくさんあるので、今から楽しみで、懐かしい景色も楽しみ、でも一番は、そこでクラス友人に会えることです。
斜里で奥様との出会いがあったんですね。
ロマンティックですね。
私も20歳頃に北海道一周しました。
美味しいものが多かったので帰ったら2キロ太っていました。
8月だったので原生花園はいまいちでしたが一面すずらんとは感動ですね。
親戚が苫小牧の近くにいますが行ったときは夏なのに朝、ストーブを炊いていたのはびっくりしました。
おかあさんがもう少し長生きしてくれていたら今年も会えましたのにね。
残念ですね。でもお友達と会えるのは嬉しいかぎりですね。
お気をつけて。
原生花園はね当時とはずいぶん自様態が変わってしまいました。
残念な事に、一緒に見た、スズラン畑はなくなってします。 盗掘が多いようで
斜里にいたとき、嫁さんは夏祭りに浴衣を着て風をひきました。
盆過ぎにはストーブを焚いていましたよ。
よ~く覚えておりますよ。
今まで以上の詳しいなれそめまでお聞かせくださって、こちらが頬が赤くなりました(笑)
いろんなお話をして来てくださいね。
それから土産話しまっております。
斜里の町には、今でも親しい友人が暮らしています
当然、友人にも会いに行きいろいろ話をしました
その事は、またブログで紹介します。
北海道で出会われて結婚を決められるほどに何もかもがtoledoさんにとって居心地の良い場所だったのですよね^^
息子さん、娘さんの名前になるほどですからよ~く分かります
ドラマチックな出会い^^
いつでもアツアツのお二人の原点ですね
いってらっしゃいませ(@^^)/~~~
ただいまです。
町の様子はすっかり変わり、知人も私と同じように歳をとっています
それでも話始めると、昔のままで 変わりません
私達夫婦には共通のものが多くあるので楽しいです。
うんうん、出会いって不思議というか・・奇跡的というか・・・
お二人の出会いは赤い糸的なものを感じますね~。
お気をつけて行ってらしてください。(^^)/
赤い糸、良く尚ちゃんに言われますよ
奇跡に出来る事は、その人の心だとおもいます
あっと言う間の斜里でしたが、しっかり充電できました。