斜里に到着した時には、まったく姿が見えなかった斜里岳ですが、かあさんの仏前でお参りしてから、お墓参りに行き、それからしばらくして町はずれで斜里岳が見られるポイントに向かうと、不思議な事に見る事ができました、この後すぐにまた見えなくなってしまった斜里岳は、晴れていれば、町のほとんどの場所で見る事ができるので 実感します 斜里に来た事を。
前回、斜里の町にいったのは17年前だったとかあさんの息子のえいちゃんに教えられました。斜里・知床の事をよく知っていて斜里岳が綺麗にみられるポイントに連れて行ってもらってから畑の真ん中に大きな樹が取り残されている場所に案内してくれる途中、陽が沈みそうになり車から降りて麦畑で写真を撮りました。 麦の穂が陽を受けて黄金色に輝いてとても綺麗でした。
よくTVでも紹介されたことのある美瑛の畑の中にあった樹は、見に来る人が増え畑が荒らされるようになり農家の人に切れてしまいました。 同じ事が起こらないように斜里にある野菜の名前が付いた樹の事は、ごく一部の人にしか知られていません。
かあさんのお墓は、以久科原生花園に向かう途中にあり、お墓の北側には、砂丘に広がる原生花園がオホーツクの浜の間に挟まれるように続いています、原生花園にはハマナス・エゾキスゲ・エゾスカシユリ・などたくさんの花が咲いていますが、私が暮らして居た頃と比べると激減しています。ルピナスは原生花園の花ではなく野生化して、北海道であればどこでも見る事の出来る花になっています。
流氷がくると、重なるように花では氷の山ができます。その時に砂丘を削り段差ができ、砂丘に穴を掘り来たキツネが暮らしています。
初めて斜里に行ってから40年以上の歳月が過ぎました、当時、私は浜にでてハマボウフを採り酢味噌で食べていましたが、今ではほとんど採る事ができなくなって絶滅しそうです、町の様子もすっかり変わってしまいました。記憶に残っているものと同じな場所もありますが、この町で暮らしている知人に会わなければ違う町と間違えるかもしれません。
私が寝泊まりしていた斜里ユースホステルの外見は、当時のままの様に見えました。鍵を開けてもらい中に入りましたが、もう人が暮らせるような状態ではありません。
まだ、戻ってきたばかりなので、斜里の事・知床の事・知人の事は、また次回にします。
麦畑に沈む夕日がとても綺麗ですね。
まるで映画の1シーンのようです。
ルピナスの巨大化には驚きです。
ユースもよく残っていましたね。
懐かしさがはんぱなかったですね。
麦畑の夕日はとても素敵でした、この辺りは斜里岳のふもとで
畑が続き、人に会うこともほとんどない場所です
アメリカでルピナスは雑草扱いです 外来種が増えると大変
ユースは17年前に閉鎖されています、建物の中を見ると悲しくなりました。
どのお写真も静かな時間が流れているようで素敵です。
こちらでは消えてしまうルピナスも野生化するのですね。
利用できなくても想い出のユースが残っていてよかったですね!
町は、別の町に来たかと間違えそうな感じでした
お互いに歳を取った友人がいてくれて、なんでも話しができるので
有意義な時間を過ごせました。
来年からは、毎年行こうかと、嫁さんと話しをしています。
知床に行った友達や会社の人は数日の旅行でさえとてもよかったと言いますが、暮らしていたなら素敵なところをたくさん知っているのでしょうね。一番素敵なことは奥様と出会えたことだと思いますが・・・。
北海道のような広い土地には独立峰的な山がとてもよく似合いますね。
長野や福島のように山に沈む夕日でもなく、金沢のように日本海に沈む夕日でもなく、平原に沈む夕日、一度見てみたいです。
北海道は、日本ではないのかと思える事があります。
今回も日の出を撮りたくて、朝4時に起きたのですが、陽はすでに登っていました。
3時には、明るくなるこの季節です。 北欧の白夜とはいきませんが
冬を過ごした事もありますが、午後三時過ぎには暗くなります、知床は東の端
確かに魅力いっぱいの北海道ですが、自然は以前の方がはるかにに良かったです。
夕日もルピナスもとても綺麗です~。
思い出の建物がまだ残っていたんですね。
北海道は日本だけど(笑)やはり何か違う風が吹いていますね。
北海道には手つかずの自然がまだ残されていて、心地よい風は北欧のようにも感じます。
斜里の農作物の売り上げは年間100億を越えますが、たった250組の農家でしていることです。
そんな斜里でも、変わってきています。 豊かさの意味を考えさせられます。