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Mini Airisu

人生が二度あれば

「人生が二度あれば」井上陽水の歌の中で、この歌の詩が好きでした。

父は今年二月で六十五  顔のしわは増えてゆくばかり  仕事に追われこの頃やっとゆとりができた    父の湯呑みは掛けている  それにお茶を入れて飲んでいる  湯呑みに写る自分の顔をじっと見ている  人生が二度あればこの人生が二度あれば                                        母は今年九月で六十四  子供の為に年とった  母の細い手  つけもの石を持ち上げる  そんな母を見ていると  人生が誰の為にあるのか わからない 子供を育て 家族の為に年老いた母            人生が二度あればこの人生が二度あれば                                        父と母がこたつでお茶を飲み  若い頃の事を話してる  夢見るように 夢見るように             人生が二度あればこの人生が二度あれば 人生が二度あればこの人生が二度あれば

先日、父の納骨の為にお寺に行きました。   火葬した時に、係りの人が言っていました、九十二歳で火葬した後に歯が残るのは珍しい、骨も若い人のように綺麗だと。 長野の北信あたりでは桐の骨箱に直接入れるので仏壇に置くと骨箱の中で時々砕ける骨の音が聞こえます。 知らないと驚きますね。          父と母は昭和元年生まれの同級生で、母は六十四歳で永眠しました。 私が物心ついた頃の母の口癖が「美味し者が食べたい」 「何処かに旅行に行きたい」でしたが、誘うと「勿体無い」と言う言葉が返って来て、親孝行ができなかった事が残念でした、ただただ私達家族の為に一生懸命働いていってしまいました。 父は九人兄弟の長男だったので盆・正月は兄弟が集まり賑やかでした。 母の時は六十四歳だったので、あまりにも早すぎてショックでしたが、九十二歳の父は大往生だと思っています。 定年まで仕事を一生懸命やり定年後に始めたスキーは私より上手でした。

Chūrippu

原種チューリップ

原種チューリップが咲き始めています。 今にはで花が見られる原種チューリップは三種で、これからどんどん花姿が見られます。

miniairisu

三色のミニアイリス

金木犀の下でミニアイリスが咲いています。 今見られるのは青花・白花・赤紫の花の三色が見られます。 クリスマスローズを除くと球根の春咲きが早春の庭を飾ってくれます。

いろんな事が起きても、時は、何も無かったかのように春を迎え・夏になり・秋になって冬を迎える そして春を・・・

 

 

勿忘草と原種チューリッフの咲く場所

深夜に鳴る電話の音。

寝る時間が深夜1時をまわる事が多かったのですが、最近は、そんな事もなくなり日にちが変わる頃には布団の中に居ることが多いです。

寝るときには、真っ暗にした方が寝やすいとの嫁さんの希望でカーテンを引き暗くしますが、私は少し明るく外の様子がわかるぐらいの方が好きです。

寝てから夜中に一階に置いてある携帯電話が鳴ったように思えたのですが、時々、ワンギリで携帯が鳴る事があり、気にせず寝ていました。  いつもなら眼を覚まさないまだ薄暗い時間帯に眼が覚めて、起きると寒いので、布団の中に入ったままの状態でしたがね、ふと 川越にお見舞いに行った従妹の事を思い出し、もしかすると考えながら階段を下りて一階へ

自分の携帯をみると着信が2回あり、1時51分と4時40分
 
もう少し、明るくなるのを待ち、7時過ぎに、電話を居れました 1時45分だと悲しい知らせ

カーテンを開けると音のない静かな空から、ゆっくりと雪が揺れながら落ちてきていました。  静かだなぁ  
外に出てみると、積もるというよりは、ほんの少し庭の上に乗っている感じの雪
この場所は、勿忘草が植えてあり、原種チュリップと一緒に咲いてくれる場所です。

勿忘草とクリサンサ

勿忘草とクリサンサの咲く場所に積もった 雪。

4月の末頃には、勿忘草と原種チューリツプが一緒に咲いている様子の見える場所は、庭の中で私のお気に入りの1箇所になります。 もう、ひと月もすれば、写真のような感じを見ることが出来るのでしょうが。 冬の次には春が訪れます。
どんな事があっても、季節は繰り返され、以前と同じような風景を見ることができるのですが 人生は、そうもいかないのかな。

勿忘草の咲く頃

勿忘草の咲く頃には、原種チューリップも一緒に咲きます。

一瞬ですが、見慣れている景色が、違う世界のように思えました。
まだ50代だった従妹 早すぎる 従妹には、妹がひとり居て、その妹は私が中学生の時に事故で亡くなっています。
85歳の、おじちゃん、痴呆が始まっていますが、まだ自分で歩くこともできます。 それなのに、自分の子供が自分より先に旅経ってしまい 病院にお見舞いに行ったときに見たおじちゃんの後ろ姿が 眼に焼き付いています。
少し肩を丸めて寂しそうにしているその姿が

お別れをするために、東京にいきます、お見舞いは川越でしたが、お別れは船度のようです。