カテゴリー別アーカイブ: 旅が好き

ミンミンゼミ

蝉が鳴いて夏が来たことを実感

ミーン ミーン ミー  蝉の鳴き声を聞いて、夏が来た事が実感することができました。
「蝉が鳴かないね」 嫁さんが、そんな事を言った、翌日に、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきました。
昨年の秋から今年の春に掛けて、庭の土の入れ替えを、部分的にですが何度もしたので、土の中に居た、蝉の幼虫を外に放り出してしまったのかも知れません。
昨年の夏は、うるさいと思えるほど蝉が鳴いていて、庭の木の、あっちこっちに蝉が居ました。
今年は、かなり減ってしまっているように思えます。

蝉の抜け殻

蝉の抜け殻

ヤマボウシの木に、蝉の抜け殻を見つけました。
庭の土を掘り起し木に登り殻を抜け出して蝉になった抜け殻です。
蝉の鳴き声が聞こえてくると、夏の暑さがあっても梅雨が明けた、すかっとした暑さのように思えます。

知床の友人からハガキが届いていました。 ハガキを読んで思わず苦笑いです

「やっと少し暑い日が・・・でも8月になるとすぐ寒くなる」

ルリタマアザミ

ルリタマアザミ

ルリ玉アザミ(エキノプスブルーグロー)が咲き始めています。ボール状の青い花で、何もしなくても増えてくれる私向きの夏の花です。

斜里の朝

斜里町と別れの時。

北海道でには梅雨がないと言われますが、低気圧はやってきます。
斜里に居た頃は、日本中が大荒れで、斜里も寒く、会いたかった斜里岳には、やっと会えたかと思えば、すぐに雲に覆われて姿が隠れてしまうことが多かったです、最後の夜を迎えたときの空には、はっきりと北斗七星が見えていて、朝になれば、きっと斜里岳が綺麗に見えてくると、日の出と斜里岳を朝一に見るつもりで眠りました。
眼が覚めたのは4時半です、カーテンを開けると太陽が海別岳の上空できらきら輝いていてビックリです。 この季節ね三時になると明るくなる斜里の町、思い出しました夏は夜が短い事を
すぐに起きて、斜里川を渡り浜に向かいました。 昔、ボウフウ・ハマナスの実を採った場所です。ここから見ると太陽は知床連山の上空に見えています。 まだ、五時前後でしたが陽が高く斜里港がきらきらと輝いて見えます。

斜里川の向こうに見える斜里岳

斜里川の向こうに見える斜里岳

すっと横に細く伸びた雲がありましたが、斜里川の向こうに斜里岳が見えていました。 姿がとても綺麗な山でこの山が大好きです。 町の中のどこに居ても晴れていれば見えるこの山は町民に愛されている山です。

斜里川の上から斜里岳を望む

斜里川の上から斜里岳を望む

一時間以上は浜を歩いてから一度ルートインに戻り朝食を取ってから、二人でもう一度浜にでました。 オホーツクの波と砂浜が続く浜

斜里の砂丘

斜里の砂丘


砂丘の向こうに見える斜里岳

砂丘の向こうに見える斜里岳

斜里の浜は砂丘です、この浜は車で走る事のできる浜です、砂丘の後ろには斜里だけが見えていて

斜里の浜

斜里の浜


斜里浜の貝殻

斜里浜の貝殻

家に戻ってから、斜里の話が良くでます。 そんな中で嫁さんが、斜里の浜が一番良かったと言っていました。 何もない砂丘の続く砂浜で丘の上には原生花園が広がっています。 知床に絶景はいくつもありますが、私達夫婦にとって斜里の浜は特別の場所の様です。 夜になると流れ星を見るために暖かな砂浜に寝そべって、空を見ていました、すると必ずと言うぐらい、10分もしないうちに流れ星がオホーツクに落ちていきます。
浜は私にとって遊び場でした、低気圧が来て海が荒れた後に浜に行くと、ホタテガイがあったりしてその場で焼いて食べたりしていました。 家に昔、この浜で拾ったガラス玉の浮があります、現在はプラスチックに代わっていて見かける事も少なくなりましたが。

斜里駅

斜里駅


斜里の駅前

斜里の駅前

宿泊を斜里の駅前のルートインにしていたので、斜里を離れる時に、エイチャンが見送りにきてくれました。 斜里の駅前で斜里岳が見えるように一緒に記念写真を撮りました。 駅もすっかり変わっています、オジロワシの像もありました。

エゾノシシウド

知床オホーツクの夏の花

オホーツクの海岸に広がる原生花園にいろんな花が咲きますが、五月から9月末迄、かわるがわる花が咲き中でも7月は、種類も多い季節になります。 激減したとは言え、まだ花を見る事が出来ますが、盗掘などしないで欲しいです、その場所に咲くから綺麗に見えるのです。
アイキャッチ画像は、エゾノシシウドで派手さはありませんが、好きな花です青い海に空を背景にして咲く様は、いかにも北海道だと私には思えるからです。

エゾスカシユリ

エゾスカシユリ


エゾスカシユリ

エゾスカシユリ

原生花園でいちばん好きな花はエゾスカシユリです。 私が暮らしていた頃は、以久科原生花園は、このユリが一面に広がりオレンジ色に染まっていました、また以前のような原生花園を見る事ができるのでしょうか。

エゾキスゲ

エゾキスゲ


エゾキスゲ

エゾキスゲ

エゾキスゲもこの季節を飾る花のひとつです。黄色の花が眼を引いて他の花よりもこの季節はたくさん咲いているように見えました。

エゾカワラナデシコ

エゾカワラナデシコ


エゾカワラナデシコ

エゾカワラナデシコ

エゾカワラナデシコも綺麗です、とても優しい感じのする花でねつい見とれてしまいました。

ハマエンドウ

ハマエンドウ

ハマエンドウもたくさん咲いていました。この花に似た花が何種か咲いているのですが、良く見ないと区別がつきません。

ハマヒルガオ

ハマヒルガオ

ハマヒルガオは砂丘を這うようにして咲いていました。 なんだか原生花園の花の様には思えないのですが、原生花園の花です。

ハマフウロ

ハマフウロ

ハマフウロ、この花もたくさん咲いていました、花そのものは、すぐにフウロソウだとわかります。

ハマボウフ

ハマボウフ

ハマボウフは、現在は絶滅しそうな感じですが、歩き回っていくつか見つけました、昔、このボウフを採ってきて酢味噌で食べていましたが、当時は地元の人もハマボウフを採る人はいなかったように思えます。 今では、札幌の高級店に行かないと食べられないかも知れません。

エゾノカワラマツバ

エゾノカワラマツバ

エゾノカワラマツバは近づいて行かないと花なのか良くわからない感じの花です。淡いレモンカラーの小さな花の集合体は、他のはきなと一緒に咲いていると綺麗です。

ハマナス

ハマナス


ハマナスの実

森繁久彌が歌った知床旅情にもあるハマナスの花、花が終わると実を付けてね赤くなった頃に良く採りに言った事があります、ハマナスのジャムを作るのですが、一晩塩水に実を付けて置くと、虫がいっぱい浮いてきます、美味しいとは言えませんが、そんな事わして自然に親しんでいました。

ハマニガナ

ハマニガナ

砂丘に花を咲かせるハマニガナは、黄色が鮮やかで、気候のせいでしょうか、どの花も色が鮮やかに見えました。

コウリンタンポホ゜

コウリンタンポホ゜


コウリンタンポホ゜

コウリンタンポホ゜

原生花園ではありませんが斜里岳の山の中で鮮やかナオレンジ色のコウリンタンポホ゜を見つけました。 

現在の以久科原生花園

現在の以久科原生花園


40年前の以久科原生花園

40年前の以久科原生花園

最後に、斜里にある以久科原生花園の現在の様子と、暮らしていた40年前の写真を比べてみました。 原生花園を訪れる人達は、現在の様子しか知らないので、それなりに満足しているようですが、花がたくさん咲いていた頃を知っている私には、切ない思いです。 ユースに宿泊してくれた人を喜んで案内できた当時ですが、すこしだけ、ここを訪れる人のそっと見守る思いやりがあれば、いつまでも綺麗な花畑を見ることができるのではと残念です。

ウトロ

知床も月日の流れと共に変わっていました。

前回は、とおさんの墓参りだったので、知床に行ったのは40年ぶりの事です。
当時私たちは、北海道秘湖3湖と呼んでいたのがオコタンペコ湖・東雲湖・オンネトー湖ですべて回りましたがオンネトーが個人的に大好きです、見ている間でも湖面の色が変化してとても神秘的でした。 でも、知床暮らしていた私たちは、知床五湖も秘湖のひとつに入れていました。
今回は、神の子池・裏摩周を回り羅臼に向かい知床峠を越えて、オホーツク側の知床に行きました。 裏摩周から羅臼までは、時には車とすれ違う事も無い時間が続き、信号機のない牧草地帯をずいぶん長い間走ったように思えます。

知床峠から見る羅臼岳

知床峠から見る羅臼岳

梅雨のない北海道でしたが、目まぐるしく変わる天気で、なかなか羅臼岳の頂上が見えずにしばらく雲が消えるのは待って写真を撮りました、峠を走る途中には残雪も残されていて、風がとても冷たく感じられました。

知床五湖

知床五湖

知床五湖は、名前の通りに五つの池があります、以前は地上を歩いて回ったのですが、現在はもく道が出来て一湖までは無料でもく道を歩いていくことができます、そこから先はもく道がなく有料ですがバイドの案内が無いと行くことができません。 クマザサの上に作られているので高さがあり景色を見ながら歩けるのは依然と違いますが、良かったですねそれは木道を歩いているとオホーツクが見えるからです、このあたりは200mの断崖の上になります。木道の両側にはワイヤーが張られていて電流が流れているのでヒグマ対策になります。 一湖に到着すると、年配の夫婦が居て会話が聞こえてきました「一時間待ったかいがあった」と、雲が途切れ風が穏やかになったので湖面に知床連山が鏡になって写っています。

木道

知床五湖の木道

五湖を歩いている時には午後五時近くになっていて、人も少なくなっていましたが、知床も例外ではなく中国人の人が多く日本人よりも多かったと思います、最近、なんとなく台湾の人と中国の人の違いが分かるようになってきました。台湾の人はフレンドリーです。

ウトロ

ウトロ


ウトロ

ウトロ


ウトロ

ウトロ

斜里町は日本の中でもトップクラスの長い海岸線を持っていてウトロも斜里町で知床半島の先端まで斜里になります。 長く広い斜里町には13000人ほどしか暮らしていない静かな町で当時に比べても人数はかなり減っています。

オシンコシンの滝

オシンコシンの滝

ウトロから斜里に向かう途中に、オシンコシンの滝があります。 現在は海岸線の上を走る道路になりね写真のような感じで見れますが、当時は海岸線に沿って道路があったので、もっと迫力を感じた事を覚えています。

天に続く道

海別岳に向かう天に続く道

朱円を過ぎて峰浜方面に曲がる道を、曲がらずに進むと、直線が天に昇っていくように見える道になります、この道を「天に続く道」と呼んでいます。暗くなり初めて居たことと、道の真ん中に立って撮らなかったので、それらしく見えないかも知れませんが、北海道にはまっすぐに伸びていく道がいくつもあります。

赤いポピー

国道沿いの赤いポピー

天に続く道を撮った時に、すぐ近くに民家があり、道路脇に咲いていた赤いポピーが眼を引き写真に撮りました。 色がとても鮮やかで綺麗でした。

以久科の浜からの夕日

以久科の浜からの夕日

食事に招待されていたのですがね夕日が見たくて時間を遅らせてもらったにもかかわらず、期待していた夕日は見られませんでした。

手作りの人形

斜里の友人伸子先生

えいちゃんには姉(ケイチャン)が居て、ケイチャンの友人に伸子先生がいます。 二人は斜里高で生徒会長・副会長をやった仲でする当時私は朝夕はユースを手伝い、昼間はかあさんのお店を手伝った居ました、ケイチャンもお店を手伝っていて仲良くさせてもらいました。 ケイチャンに合ったのは、斜里の町を離れる直前に行われたケイチャンの結婚式で、結婚してから札幌に行ったのでその時以来あっていませんが、伸子先生は斜里の町に園長先生をしていたので、斜里に行くと合う事ができます、とおさんのお墓参りで出かけた時には、女満別空港まで迎えに来てくれて、家族4人家にも泊めてもらいました。 夜になってから嫁さんと二人で星空を見に行った事も今でも仲がいいねと言われています。 空を見上げてしばらくすると必ず流れ星の見える北国の夜空です。

伸子先生手作りの人形

伸子先生手作りの人形

いつもハガキをくれる時には、とても可愛い絵が描かれていて笑顔にさせられています。 そんな伸子先生の家の玄関を開けると、出迎えてくれるのが、手作りの人形たちです。

友人家

友人家の玄関

人形が置かれた上の壁にも、いっぱいいて出迎えてくれました、私達よりも年上の伸子先生ですが、いつまでも気持ちの若さを持っていてメルヘンチックな家の中の飾りです。

友人家の玄関

友人家の玄関


友人家の玄関

友人家の玄関

玄関には、こんな感じでたくさんの人形が居て、楽しくなりました。 あまりカメラを撮るものだから、帰り際に壁に掛けてあった人形をくれました。アイキャッチ画像に写っているのがそれで、人形が四つで、その間にはハートでつながっていました。 
うちの家に合うのかはわかりませんが、家を出る時に嫁さんに好きな場所に飾ってと頼んで出てきました。

部屋の中の人形

部屋の中の人形

部屋の中に入って、また驚きました、天井の淵に沿って人形達が手を繋ぐように続いている光景は凄い。 ここまでやるのかと感心、今回は駅前にできたルートインに宿泊しましたが、ルートインにしては高かったのですが温泉露天風呂もあり、また斜里に行ったらルートインが良いかな。
長野に戻ってからの話題は斜里の事が多く、二人とも、気持ちが合い、来年も、できれば毎年斜里に行こうという事になりました。 そんな思いが叶うように頑張ります。

神の子池

さくらの滝 神の子池

斜里から裏摩周に向かう途中に、緑という地名があります。無人駅の緑から歩いて二時間ほど行くと第三摩周に到着、私が暮らしていた頃は第三摩周から湖畔まで降りる事が出来た場所で空っぽの一升瓶に摩周湖の水を入れて持ち帰り酒盛りをなどかしましたが、一日かけて摩周の水を持ち帰るように時がゆっくりと流れていた当時でした。
摩周には緑色をしたザリガニが生息してて、神秘的な池もあります、「神の子池」摩周湖の北側のうっそうとした林の中に神の子池があります。
摩周湖の伏流水からできていると言われている池は深さが5mの底から一日に12000tも湧き出しています、水温も一年中8℃と低く池の中に沈んでいる倒木が腐らずに神秘的なブルーの池になっています。池の中の倒木は手を伸ばせば届きそうに見えるのですが意外と深いです。

さくらの滝

さくらの滝

斜里川の上流にあるさくらの滝は、一般公募で名前が付けられた滝です。高さが3m70㎝の滝に向かってジャンプするサクラマスを見たときには感動的でした、「ガンバレ」と応援をしてしまうジャンプ。自然界は凄い、何度もシャッターを押すのですがタイミングが難しくて、この滝の写真を何十枚も撮りましたが、サクラマスをとらえたのは数枚だけでした。 私の写真ではわかりずらいので、下の、さくらの滝をクイックしてもらえれば動画が見れます。 是非見てください。感動しますよ。

さくらの滝

サクラマスは、ヤマメが海にいき大きくなってから産卵のために故郷に戻ってくるとサクラマスと呼ばれます。 シーズンに3000匹以上のサクラマスがジャンプして滝を越えていきます。 高さが3m70㎝の滝を登る光景は世界的にも珍しい光景です。 頑張れサクラマス

斜里町に現れたヒグマ

斜里町に現れたヒグマ

斜里は自然がとても豊かです、まだまだ手付かずの自然が残されていて知床に行くと熊に注意という看板ではなく、ここはヒグマの生息地ですの看板になります。数年前に斜里の町中に二頭のヒグマが現れ、一頭は射殺されました。 本州に生息するツキノワグマと比較にならないぐらい力強い熊です。 私も知床では何度かヒグマに遭遇していますが、知床では熊に注意の看板は至る所に建てられています。

Iヒグマの子供と遊ぶ自分

Iヒグマの子供と遊ぶ自分

斜里から戻って、斜里で暮らしていた頃のアルバムを開いてみました。 今では一年に一度も見る事がないこともあるアルバムですが懐かしさが込み上げて来ました。 ヒグマの子供と遊んでいる私です、もう40年以上も前の写真で、今では、こんなふうにヒグマに触れる事もできません、今回是非行きたかった場所の一つに乙女の涙と言う滝があります、現在では違う名前になっているようですが、断崖から流れ落ちる滝がオホーツクに落ちていき、紺碧の海に吸い込まれるように見える場所です、前回17年前には行くことが出来、エゾシカが群れで、近くにはヒグマも居ました。 今回は以前のように簡単に入る事が出来ず、ヒグマ出没の為に道が閉鎖されていました。

種を採った後のルナリア

ルナリアの種の採取。

少し早いようにも思えましたが、夕方ルナリア(ゴウダソウ)の種を取りました。 春に京都のホリーガーデンさんに行ったときにゴウダソウの種蒔き時期を失敗したのか、上手く育っていなかったので、種をあげる約束をしてあった事を思い出しました。 来週、数日留守にするので、その前に忘れないうちにと始めた作業です。

ゴウダソウの花

ゴウダソウの花


ルナリア

ルナリア

今年の四月半ばにモリニュークスの薔薇の下で咲いていたルナリア(ゴウダソウ)の花です。 花が咲き終わると葉の中に種を作り、現在は枯れたように見える状態になっています、まだ茎の付け根に緑色が残っているので、少し早い、いつもだと、茎をしっかり枯れた状態になってから切り取り種を採ります。早く切り取った方が風通しもよくなるのでいいかも。

ルナリアの種採り

ルナリアの種採り

丸い形をしたルナリアの葉が、葉の中に種を残しているのがよくわかります、葉の表裏を擦るようにすると両面の葉が剥がれて中の透明な部分わ残して種が現れます、多いものは一枚の葉に10以上の種が両面から零れ落ちてくれます。

ルナリアの落ちた葉と種

ルナリアの落ちた葉と種


ルナリアの種

ルナリアの種

用意してあった箱の中に落ちた葉と種が一緒になっているので、葉を取り除くと種だけが残ってくれます。種の形は薄い葉の中に挟まれているので丸く薄い種です。 種を取った後のルナリアはドライフラワーとして部屋に飾りますが、友人にあげる事も多いのですが、飾られていて古いものは十数年前のルナリアのドライです。

アナベルに乗ったカナブン

アナベルに乗ったカナブン

アナベルの植えにいるカナブンを見つけました。庭にいろんな昆虫がやってきます、鳥もいろんな鳥がやってきて昆虫・鳥がいる庭です。

会津 大内宿

大内宿で、ねぎ蕎麦を食べた。

福島からの帰り、会津若松から南下して、大内宿に立ち寄ました。 大内宿に行ったら是非食べてみたいものがある事と嫁さんは一度も行ったことが無い事もあり見せたかったです。 テレビでも紹介される事もあり、その時に「ねぎ蕎麦」も紹介されていて、食べてみたかったのです。 あいにくの雨降りと以前行った時には、川沿いの道を走ったのですがカーブの多い山道を走り、行き違う車もほとんどなく、この道でいいのかと心配しながら走りました。 川をせき止めて作られたタ゜ムのようなものがも見えてきました、以前はありませんでした。 到着すると雨降りにも関わらず駐車場には県外車のナンバーも多くあり大勢の人が歩いていました。

会津 大内宿

会津 大内宿

広い道を挟んで両側に見事な茅葺の大内宿が続きます、ゆるやかな坂を上って行くと、突き当りに子安観音を祭ったお堂に行く為の急な石段があり、歩いている途中に今日、お祭りをしているからと声を掛けられたので行ってみました。

急な石段

観音堂に続く急な石段

上りきった所に小さなお堂があり、村の主婦達が、お堂に来た人達におこわ・漬物・ゆで卵・お神酒などを振舞ってくれています。一年に一度の観音様のお祭りのようで、私たちも孫の健康を祈ってお参りをさせていただきました。 小さな村の一年に一度のお祭りの事は当然知りませんでしたが、村人と一瞬ですが触れ合えて楽しかったです。

村の祭り

お堂に村人が集まってのお祭り


大内宿の観音堂

大内宿の観音堂

お昼はもちろん、ねぎ蕎麦です。  大内宿には10件以上のお店で、ねぎ蕎麦を食べさせてもらえますが、ネットでランキングを調べると一位が元祖ねぎ蕎麦の「玉屋」
で二位がテレビでも良く紹介されている「三澤屋」 どちらも混んでいましたが、玉屋の入り口に立った瞬間、吸い込まれるように入って行きました。

玉屋の入り口

元祖 ねぎ蕎麦 玉屋の入り口

幼い頃、母に連れられて行った母の実家は静かな山郷で、そんな感じの懐かしさを感じさせてくれます。

お蕎麦を注文してから、少し時間があったので、雨降りで冷えた体を囲炉裏で温める嫁さん。

ねぎ蕎麦

大内宿 玉屋のねぎ蕎麦

ねぎ蕎麦は、お箸のかわりに一本の葱を箸替わりにして、お蕎麦と一緒に食べていきます。 お蕎麦の量が多ければいいのですが、蕎麦が無くなってしまい、葱だけ残っても普通に辛みのあるので、それは食べずに残してしまいました。

琵琶湖東湖畔

近江琵琶湖の伝統 長刀祭り

連休の前半は長野に来ていた、娘夫婦と孫達。 後半は、婿さんの実家に私達夫婦も行きました。 国選択無形文化財に指定されている、長刀踊りに上の孫が参加するので、その様子を見に行きました。
行く事を決めてからね宿探しが始まり、用事で大阪に行くことになっていた息子とも合流しての宿、京都の宿は見つからず、雄琴温泉もどの宿も満室、やっと見つけたのがラフォーレ琵琶湖。琵琶湖に沿って走る道路脇にあり、すぐ目の前が琵琶湖でした。
湖畔に行ってみると、以外に水は綺麗で、サギゴケもたくさん自生していて側溝の中でも花わ咲かせていまし。

琵琶湖東湖畔

琵琶湖東湖畔の穏やかな湖面


琵琶湖東湖畔

琵琶湖東湖畔の夕暮れ

波がとても穏やかで、夏のオホーツクの海を思い出しました。 湖水も想像していたよりは綺麗で、家族連れと一緒に来ていた2匹のラブラドールが湖の中に入り遊んでいた。大きな樹が一本、ポツント立っていてテレビのコマーシャルに登場していた大きな樹と形が少し似ていた、海ではないので好きな貝殻拾いはできませんが、静かに流れている時間が心地よかったです。

小津神社の神輿

重要文化財の本殿に置かれて神輿


小津神社

重要文化財小津神社


巫女さんの舞い

小津神社巫女さんの舞い

琵琶湖のある町、守山の小津・玉津の範囲で毎年踊りを担当して八年に一度回ってきます。
小津神社は允恭天皇441年に、宇迦乃御魂命、素戔嗚命、大市姫命を祀ったのが始めとされ、本殿は国の重要文化財に指定されています。毎年5月5日に行われる長刀振り(なぎなたまつり)は、国選択無形民族文化財です。 その長刀まつりに孫が参加しました。

祭りに参加の孫

長刀祭りに参加の孫

宿を9時過ぎに出かけたのですが、小津神社の大鳥居での踊りには間に合いませんでした。小津神社本殿に置かれていた御輿を見に行き、しばらくすると御輿の担ぎ手がどんどん集まってきて、しばらく待ちましたが、なかなか出発をしないので赤野井町に移動しました、赤野井町は婿さんの実かがあり、西別院・若宮神社前を通り長刀の芸などが。

長刀祭りに参加の孫

長刀祭りに参加の孫

千四百年昔、欽明天皇の頃、琵琶湖のはんらんにより湖中に流失した神霊を抑えた際、氏子らが踊りを奉納したのが祭りのはじめのようです。
大勢の踊り手がヤーアイの掛け声とともに長刀を左右に振り回しながら進んでいきます 。
本来は男性が中心になって行う祭りですが、小学生以下は女の子も参加できます、一家からひとり参加で実家からは孫が参加です。

長刀祭り

200人以上が参加長刀祭り


後で、孫の持っていた長刀を持ってみましたが、想像以上に重いのでビックリ、この重さを振り回すのには孫にとって大変な事です。

長刀祭り

長刀祭り


小津神社の神輿を担いで

小津神社の神輿を担いで若宮神社


こども神輿

こども神輿

長刀を振るう行列が通り過ぎてから、しばらく時間をおいて小津神社に置かれていた3つの神輿がやってきました、ふんどし姿の男達、それぞれ地区に分かれて脚絆・ふんどしの色が違います。一軒の家からひとり参加者を出さなくてはいけないので、昨年は婿さんが神輿を担ぎました、今年は孫が長刀を持って参加。

お昼は、婿さんの実家で、近江牛のすき焼き・焼肉・郷土料理も幾つか出てきました。薄味で炊かれた赤蒟蒻、滋賀では赤蒟蒻が出てきます、琵琶湖の西側には鯖街道があり、鯖鮨を作れる家が多いようで食卓に乗りました。 朝ね家の近くで採ったフキも美味しく炊かれていました。
どうしても一度食べてみたものがあり、あるのか聞いてみたら、三年ものがひとつあると出してくれました。

鮒ずし

はじめて食べた鮒ずし

鮒寿司を、一度食べて見たかったのです。怖いもの見たさというのか、興味がありました。 薄く切られお皿に盛られた鮒寿司、匂いは想像していたよりは臭くなく塩気が強い。 以前は、こういったものは避けていましたが、仙台で食べた海鞘が、ビツクリするほど美味しくて、決めつけないようにしています。 一度食べてどうこうではなく、本当の味はね以外と知らずにいたものが多いと気づきました。

鯖寿司

自家製鯖寿司

大勢来ていたので、長いテーブルが用意されていて、近江牛のすき焼きのテーブルと近江牛の焼き肉のテーブルに分かれ、とうしてか私も入れて年寄組はすき焼きで、若者組は焼き肉でした、お寿司・赤飯もあったのですが、手作りの鯖寿司がとても美味しかったです、琵琶湖の西側に鯖街道があり、鯖寿司は長野のおやきみたいで家庭料理のようです。

近江牛・松坂牛・神戸牛 どの牛も、元は但馬の牛です。

夕方に、長刀を上空へ放り上げたり、体を回転させる妙技を披露されるのですが、帰りの高速での混雑が心配で午後3時には孫と分かれて長野に向かいました。一宮あたりで渋滞になりましたが、22時前には長野に戻ることがむできました。

 

クラブハリエの庭

CLUB HARIE

高速道路を四日市降りて、近江八幡に向かいました。 この日は、婿さんの実家のある守山でお祭りがあり、孫が参加するので琵琶湖大橋近くのホテルに泊まる予定にしていて、近江八幡のクラブハリエでお茶をしてから向かうことにしていました。 ちょうど、大阪にきていた息子と琵琶湖大橋を渡った駅で待ち合わせをしていたので時間調整という事もあります。

飴細工

ヌーベル・パティスリー・デュ・ジャポン 金賞

クラブハリエの店内に飾られていた、ヌーベル・パティスリー・デュ・ジャポンの飴細工部門・金賞の作品が飾られていました。

CLUB HARIE CaFe

近江八幡 クラブハリエ

「たねや」と道を挟んでクラブハリエがあります、たねや、は和菓子でクラブハリエは洋菓子のお店、クラブハリエの店内には長蛇の列ができていて商品を買い求めるお客様でごった返していて、以前は、バームクーヘンを目の前で作っていて生のバームクーヘンの前に行列がありましたが、バームヘンは他の店舗で作っていて、ここでは以前のように作っていません、店内を通り抜けると庭があり、庭の横にカフェが併設されています。 ここも並んでいましたが、なんとか入店することができ、席はテラス側になりました。

クラブハリエの庭

クラブハリエの庭の池


クラブハリエカフェテラスの花

クラブハリエカフェテラスの花


クラブハリエの庭

クラブハリエの庭のクリスタル

クラバハリエの庭には、池があり、池の向こう側にクリスタルを飾った場所があり、光が当たるとキラキラと輝ききれいです、カフェテラスの手前に花が植えられていて、芝生の庭には置物の兎がいます。 どのぐらい待ったのか、庭側のテラス席に案内をされ、見せてもらったメニューには飲み物だけがあり、ケーキはショーケースの中から好きなものを選ぶようになっていました。

ヴァシュラン

クラブハリエのケーキヴァシュラン


キャレ・ルージュ

クラバハリエのキャレ・ルージュ


スコーン

クラバハリエのスコーン

スコーンは暖かで出来立てのようでした、とてもおいしくて半分づつ。
ケーキは、見た目と味がどうなのかわからないので、値段を見て、いちばん高いヴァシュランにしました、嫁さんはキャレ・ルージュです、どちらも半分より多めに嫁さんが食べて、ケーキも美味しかったけれど、この場所で食べられる満足感のようなものがあったと思います。

ティータイム

クラブハリエでティータイム

飲み物は、ホットとアイスのアールグレーです。
紅茶を頼むときは、アールグレーが多いです、以前はあまり飲むことの少なかったコーヒーも、最近はブラックで飲むようになりました。

近江八幡の運河

近江八幡の運河


近江八幡の運河

近江八幡の運河

近江八幡の運河の植えに掛かる橋の上から、両側を撮りました。 前回来たのは、桜の花が咲いているときでした。 

近江八幡は、滋賀県の中でも訪れたことがある回数の多い街です。 豊臣秀次の築いた城下町を基盤にして栄え、近江商人の町としても知られているところで、水郷のある風景はとても魅力があります。