引っ張るだけ引っ張ってる帰省ブログ最終です。
残り1日目は朝から家事を手伝い、その後、父のお墓参りに。。。
私たちと一緒に行きたいという母。
歩いていける距離ですが、足が不自由になって来た母にはちょっとキツイ坂道。
そこで車で一緒にお墓参りです。
足が不自由になってお墓参りに頻繁に来れなくなったことを父や祖父に詫びる母。
そして、私たちが無事に帰省できたことを感謝し、
又、無事に帰ることが出来る様に・・・と祈る母の背中は
以前にも増して小さく細く薄くなっていました。
最近、体調がすぐれない日が増えてきたせいか、
気丈だった母が弱音を吐くように、お墓の父に向かって、
「もう、長くは無いうちにそっちに行くことになるよ~・・・」と。。。
その言葉に胸が締め付けられ、涙が溢れそうになりました。
きっと、身体も自由が効かず、心細くなっているのでしょう。。。
その後、母を置いて、観光がしたいという娘の為に近場の川内峠という所に行きました。
川内峠は標高約200mに広がる約30haの平戸を代表する草原で
頂上は絶好のパノラマで、その展望はすばらしく、東に九十九島及び西九州の連山、
北に松浦潟や玄界灘、遠くは壱岐・対馬を望み、西に東シナ海や五島列島を一望に収め、
眼下に古江湾や小富士、生月、大島と西海国立公園随一の景観を具備した峠で、
遠足で訪れた場所でもあります。
その峠の上に立つと、海と山を望む素晴らしい景色にしばし時を忘れ、
その穏やかな時間を楽しむことが出来ました。
そして、住んでいる頃には気付かなかったけれど、
この恵まれた自然と環境は、素晴らしい財産だったんだと改めて感じた時間でした。
娘も素晴らしい眺望を、良い思い出になったと喜んでくれました。
別れの朝、去年まで気丈に振る舞って送り出してくれたのに、
今年は「これが最後の言葉交わしになるかもしれん」・・・と顔を歪めながら言う母。
私はこんな気弱になった母を見るのは初めてで、込み上げるものがありましたが、
その気持ちを抑えながら、「又ね、又、帰ってくるから、長生きしてくれないと困るよ」と言うと、
「帰らんといて」・・・と言わんばかりに小さくうなずきながら、
悲しそうな顔で私と娘を見ながら、
「気を付けて帰るんだよ」・・・と泣き笑い。。。
そんな母と兄家族に見送られ、
私は溢れ出る涙をぬぐいながらハンドルを握り帰路につきました。
ちょっと弱気になった母が心配ですが
娘と孫の顔を見れて嬉しかったと喜んでもらえてだけでも良かったと思える帰省でした。
今日のオマケ写真は・・・
思う様に動かない身体を忍て母が作っている里芋の葉っぱに付いた雫。
艶々の葉っぱに残った朝露は
数えきれないほどの雫となってキラキラと輝いていました。
それはまるで別れを惜しむ母の涙のよう・・・
お母さんの別れたくない気持ちは切実ですねー。
本当に朝露の雫みたいに涙を流したと思います。
嬉しいけれど別れは辛いですね。
でも遠いのに会えて良かったですね。
お母さんは気弱になられているのですねー。
なんとも… 読んでいて切なく涙が滲みました。
川内峠の頂上のパノラマは素晴らしいですね。
なかなか行けないのに行った気分になりました。
良いところですね。
そうですね、最近、病院で検査したら心臓に腫れが見えると言われ、
今月末、検査入院するとかで余計に気弱になっているようです。
何事も無ければ良いのですが、こればかりは歳が歳ですからね。
別れが辛かったのでしょうね、今年は手を振って送り出せず、
悲しそうな顔で見送っていたのが今でも頭を過ぎります。
もう少し近くにいたら年に何度か話し相手にでもなれるんだけどね・・・(。-_-。)
川内峠はその名の通り峠なので何もないのですが、
見晴らしの良さは最高でした。
台風後とは思えないお天気に恵まれて素晴らしい眺望を堪能することが出来ました^^
ご高齢のお母さまのお気持ちが痛いほど分かります。
また、すぐには会えないことで一層別れが辛いのですね。
Tさんも離れていると心配が募りますよね。
でも、きっと、お母さまは、皆さまの願いに応えてくださると思います!
ご実家の近くに素晴らしい草原があるのですね!
こんな所で、の〜んびり過ごしたいです♪
そうですね、1年に1回は少ないですからね、
本当はもっと会えると良いのですが、なんせ、遠すぎて、金銭的にも体力的にもキツイ(笑)
農作業も前程出来なくなったせいで1人の時間が多くて心寂しいのだと思います。
女の人は幾つになってもお喋りが1番のストレス発散と楽しみだったりしますものね。
今後は兄弟で代わる代わる母に電話を入れて話し相手になれる様、
兄弟とも話をしました。
少しでも心の支えと力になってくれればと思います。
川内峠からの眺望は本当に素敵でした。
低い山々ばかりなので見渡す限り遮るものが無いパノラマで、心が洗われるようでした。
いつも、毒ついてる私なので、少しは垢が落ちたかしら~(笑)^^
対馬も見えるんですね
一度も行ったことはないですが遠い親戚がいます
富士山も見えるのですか?
素晴らしいところですね
故郷があるって良いなと思います
あ~、読み進むのが辛いです
母の気持ち、娘の気持ちが痛いほど分かりますもの~
お天気が良いと本当に遠くまで見えるのでとっても綺麗なんです。
富士山は流石に見えないけど、形が似ている小さな小富士という山が見えます。
でも、どの山も小さいので、峠からは遮るものが無くて、秋の高い空と青い海のコントラストが
何とも美しく、ウットリしておりました。
あらっ、leonさん、遠い親戚がおられるの?
いやいや、それは、一度長崎にも足を延ばさねばあきまへんな(笑)
・・・って言うか、もう少し近かったら私の実家にもお連れして、
田舎暮らしの良きも悪きも楽しんで頂きたいわ~。
あ~、私が仕事してなければ色んな所に一緒にお出かけ出来るのに~~~‼
現実はそうはさせてくれないのよね~・・・(◞‸◟)ショボーン
あの赤い橋は平戸大橋で夜のイルミネーションの灯りが綺麗なと聞いとるが~
川内峠からの眺めで九十九島がよかろね~行った事なかバッテンが~
学生の頃神戸の同級生とオランダ塀とか平戸城 それと何とか天主堂に行った思いではあるよ~
お母さんは別れが辛かったのか 里芋の葉っぱに・・・零が・・・
かんちゃんも お袋の闘病生活が長く何度か顔見せに帰ったけど
やっぱり同じように 又来るけんね~って笑顔で言っても
目の奥には零が・・・・・辛かった~~~
その後に読んだ句です・・・
病みて問う 命いくばか 目の奥に
そうそう、あの赤い橋が平戸大橋ばい♪
ド田舎にしては派手な色しとるけど、お蔭で何処から見てもすぐにわかると~(笑)
かんちゃん、平戸城やオランダ塀見に行ったと?
ド田舎やけん、見る所も少ないし、ビックしたやろ~?(笑)
そうね、今年の母は今まで見たこと無い悲しそうな顔やったから、
いつも以上に後ろ髪引かれて、私も悲しかった~。
病みて問う 命いくばか 目の奥に・・・・(うんうん・・・ウルウル・・・・:;(∩´﹏`∩);:)
孝行したいときには親はなし、石に布団は着せられず・・・
今のうちに出来る限りの孝行してあげたいって思とるよ~。
Tさんのお母さんのお話しを読んで、
いろいろいろいろ、、いろいろいろいろ
自分の母の人生、自分の人生等
思い出してました、、、。>_<
帰省して、別れる時、母はいつも涙してました、、
なんで、毎回?と思ったけど、
ウン十年後になって、やっとわかった。
祖母が「お母さんは体が不自由なんじゃけ、
あんたは遠くへ嫁に行ったらいけんで」と言われて、
「ありゃ、祖母が生きとる間は結婚できん、年寄りは何もわかっとらんけ~
困ったもんじゃ」と思ってたけど
年取って、祖母のその意味がよ~くわかった。
Tさんのお母様はお元気で長生きして、お兄さん家族と一緒に暮らして
たくさんの子供達や孫達の成長を楽しみながら
すごく幸せな人生を送られてると思いますよ。羨ましいです。
これからも、無理しない程度に帰省して
喜ばせてあげてください。
(帰省を怠ったことで、反省、後悔してる者より、、)
そうですね、Akeminさんだけじゃなく、私もそうですよ。
中学を卒業すると同時に家を出た私。
親の期待に沿うのが面倒で鬱陶しくて、早く自立したくて、自由になりたくて・・・
7人兄弟の末っ子だった私が家を出る時の母の心境たるや、どれだけ寂しかったろうか・・・
どれだけ悲しかったろうか・・・どれだけ心配だったろうか・・・
そんなことを考えもしなかったかった私は、迷惑さえかけなければ良いかと、
自分の好きなように生きて過ごして来ましたが、自分が親になって、そして歳を重ねて、
初めて母の愛情の深さを知りました。
母親は幾つになっても母親なんですよね。子供を見守り、何かの役に立ちたいといつも思ってくれているのです。
自分が出来ることにも限界はあるけれど、後悔しないように
今度は私が母を見守り少しでも役に立てたら・・・と思っています^^
お言葉、ありがとうございます^^